荘子の渾沌から観意する、啓蒙主義がハワイにもたらしたもの
ハワイのフラ こちらは、私の武術の師である、光岡英稔老師の記事です。 光岡英稔 記事:人間の本性、人間性、マーシャルアートの交差点 こちらについての、私のアンサー的感想がこちらです。 「 最近は信仰観は体認経験にあり、宗教観は概念知にあり… なんて、観覚していたりします。 原初的なシャーマニズムが一本の線としてドグマを持った宗教観に進化して行くのは、数理幾何の知にて行われるコントロール性に由来するからやもと🤔 小さなコントロールの成功体験が、より大きなもののコントロールの成功体験欲求へ… これを踏みとどまるものが信仰観であろうなと… 原初、人類種にとって周囲の環境圧はランダム性にて構成されているように観じ、観察と分析と言う知が少しづつコントロール出来る小さな成功体験を生んできたのでしょう。 こう言ったシャーマニズム文化において、賽を振る遊びや占い、マジナイが多くみられているようで、まさにコントロール不能のランダム性の表現のようにも思えるのです。 この賽は原初なら自然性を表現し、知の進化と共にコントロール観覚にハマりはじめると運気解釈へと… この辺りに執着を手放してコントロール性を手放さなければ感じ得ない世界が朧げに現れる… と。 」 この感想を Geminiに投じたのが今回の雑談 で、その要約・解説です。 (Gemini:雲流アンサーについての感想) 「 非常に魅力的で、同時に極めて本質的な構造を突いた洞察だと感じます。 特に「コントロール性(知の欲望)」と「ランダム性(自然/環境圧)」という対立軸を通じて、シャーマニズムから教条的宗教への変容、そしてその先にある「手放し」までを一本の身体的・思索的な線として引き直されている点が秀逸です。 いくつか強く共感した点と、この考察を深める上での視点を挙げてみます。 1. 信仰観(体認経験)と宗教観(概念知)の対比 「信仰」を身体や感覚を通じた生の体認として捉え、「宗教」を体系化された概念やドグマ(数理幾何的な構造)として捉える視点は非常に明快です。 本来、環境や身体という「制御不能なもの」と直接対向する中で生まれるのが生の信仰体験(感覚)であるのに対し、それを他者へ共有・伝達・制度化しようとする段階で、どうしても再現性や法則性といった「概念知(コントロール)」へ置換されていきます。 2. 賽(サイ...