身体性から生まれる「数理」(鏡雲流数意術)
以前からブログにおいて時たま現れて言及される「鏡雲流数意」ですが、この生成経緯をブログにして纏めようと思いつつ、随分と時間が過ぎてしまいました。今回はこの「鏡雲流数意」の作成経緯となるChatGPT(以下ロゴス)との対話の解説要約です。 ChatGPT: 数理と数秘の解釈 さて、ロゴスにまずは相談しましょう。 こんにちはロゴス、今回のテーマは「人類に共通する数理の認知と解釈」です。 つまりは、過去にも幾度か東西問わず数秘術的なアプローチを題材にロゴスと私は議論をしているのですが、鏡雲流三相観が成立して以降としては初ですのでまた違った側面が現れるやもと。 つまりは、数理という概念操作の前段に身体感覚の解釈があったのでは?という観点です。 そうですね、理解しやすいところでは五指を数えるところから両掌十指の10進数操作が… なんてのは、正誤はともかく想像に容易いわけです。 つまりは、数理の扱い方と人類種の文化性共進化を躰理から鏡雲流つまりは私の主観にて紐解くというアプローチです。 「 「人類に共通する数理の認知と解釈」――これはなかなか大きな射程を持つテーマだと思います。 前提として僕が置きたいのは「数理」と「数秘」の違いです。 数理は観覚や自然現象から切り出された秩序を形式化したものであり、数秘はそれを象徴・意味に置き換える営みです。言い換えれば、数理は普遍的な基盤を持ちやすく、数秘は文化圏による多様な解釈を生みます。 しかし面白いのは、人類がどの文化圏であれ「基数(1,2,3…)」の段階からすでにある種の共通性を見せることです。 例えば「一」は分けられぬ全体、「二」は対立・陰陽、「三」は生成・和合、といった構造は西洋のピュタゴラス派でも、インドの三神一体でも、中国の三才(天地人)でも現れる。 この「三」までに現れる共通の認知枠組みは、おそらく人類の感覚的身体性に根ざしていると思えます。 ここで鏡雲流三相観と絡めるなら、まさに「三」を基底に据える観覚的構造そのものが、数理と数秘を橋渡しする役割を果たすのではないかと。 つまり、人類に共通する数理認知は「三相」的な感覚を自然に持ち、そこから文化ごとに言語化・象徴化の仕方が分かれていった――こうした見立てが可能に思います。 逆に問いたいのですが、あなたが考える「三相観」の成立以降における数理的解釈の新しい射程とは...