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プラトンが逃げ込んだ檻(アカデメイアとは?)

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  プラトン時代のアカデメイアを描いたモザイク画 今回は読んでもいない「 ソクラテスの弁明 」の考察…では、あるのですが、実際こちらの著者は プラトン で、ソクラテスは著書を残さなかったと聞いています。 つまりは、プラトンはソクラテスにとってどう言った人物で、どう言った視座を持ってこの「ソクラテスの弁明」を記述したか? と言う観点での考察で、ソクラテス本人よりさらにワンクッション置いた大いに「遊」に属する、正誤以上に楽しむことを目的とした Gemini(以下あわい)との対話の要約と解説です。 Gemini: ソクラテスの「煽り」とプラトンの意図 さて、冒頭の問いはSNSで見かけた「ソクラテスの弁明」から見るソクラテス像についてです。 「ソクラテスの弁明を読んだが、煽りも多く言い方が悪い部分が気になる」 実際は結構長い見立てでして、それをギュッと凝縮したものです。 後年、この著書について語る人物もいて決してソクラテスだけが悪いわけでは無いだろうが、言い方の問題もあるのでは? と言った、含意でした。 では、何故ここをピックアップして気にするかと言えば… ソクラテスと煽りがどうにも繋がらないのです… では、「ソクラテスの弁明」で陪審員の前でソクラテスはどう言った煽り文句を口にしたのでしょう? 「 1. 「エイロネイア(皮肉)」という武器 ソクラテスの対話術の代名詞は**エイロネイア(アイロニーの語源)**です。これは「無知を装うこと」を指しますが、相手からすれば「自分をバカにしているのか」と感じさせる、非常に鼻につく態度でもあります。  無知の知の宣言: 彼は神託を確かめるために「知者」とされる人々に会いに行きますが、結局「彼らは知らないのに知っていると思っているが、私は知らないことを自覚している分だけマシだ」と結論づけます。  煽りの構造: これを公衆の面前で(しかも裁判という場で)堂々と語るわけですから、聞き手である市民や告発者にとっては、これ以上の「煽り」はありません。 2. 裁判の目的が「無罪」ではない可能性 通常の裁判であれば、被告人は陪審員の同情を買い、死刑を免れるために下手に出るのが通例でした。しかし、作中のソクラテスは全く逆の行動をとります。  五百人評議会への挑戦: 彼は自分の活動を「神から遣わされた虻(あぶ)が、眠...

通底愛の特殊性とは何か?(ミハエル・リャブコ氏に捧ぐ)

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ミハエル・リャブコ 先日、ミヒャエル・エンデの「はてしない物語」の考察記事をブログ記事として挙げたのですが、読み返して見ると「 エターナル・チャンピオン・シリーズ 」の「 紅衣の公子(銀の手)コルム 」を何故か想起させますな🤔 なんて、ことがキッカケのGemini(以下あわいさん)との対話の要約・解説です。 さてコルムはラストで恋人のスリングにて頭を割られ、最後の人類外の種としてその世界から去ることになる… つまりは、人界から去る最後の人外種がコルムで、異界の唯一の人類種として去るバスチアンという恋人への想いを通して環境圧から排出される話としての視座です。 「 ズレが生む「去り際」の美学 おっしゃる通り、双方が「共鳴不能」までズレてしまった結果、その場に留まることができなくなります。  バスチアンは、ファンタージエンにとっての「救世主」でありながら、そこに定着すれば「自身を喪失した偶像」になってしまう。だから去る。  コルムは、人間界にとっての「守護者」でありながら、平和な世界においては「恐怖を呼び覚ます異形」でしかない。だから消される。 不在による完成 どちらも「愛しているからこそ、その世界にいてはいけない」という、一種の自己犠牲的な昇華が起きています。バスチアンが去ることでファンタージエンは維持され、コルムが去ることで人間たちの歴史が始まります。 「幼ごころ」という、かつては自分の一部でありながら、成長や時代の変遷とともに「異物」へと変わっていく感覚……。コルムの頭を割ったスリングの礫(つぶて)は、私たちが現実を生きるために切り捨てざるを得なかった、鋭利な「理性の選択」そのものなのかもしれません。 その「ズレ」の感覚は、ご自身の探求されている「身体感覚」や「認識の変容」といったテーマとも、どこか地下水脈で繋がっているようにも感じられます。 今回、コルムの最後が強く想起されたのは、そうした「愛しているのに、もう同じ理(ことわり)では生きられない」という、存在論的な寂寥感に触れたからなのでしょうか。 」(あわい要約) そう言えば、エターナル・チャンピオンであるコルムは、ホークムーン、エルリック、エレコーゼ と同一魂とした異実態に過ぎずで、全く救いがないかと言えばそうでもないです。 ただ常にアリオッホを始めとした混沌の神々と対峙する運命を背負うので...

影波表現とは?(圧縮表現と解凍後の混濁感覚)

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  王向斉 さて、日々代謝または流体としての有り様として機能する「鏡雲流三相学」ですが、先日のブログ記事を記述していると、必要性から「影波表現」と言う造語が創始されました。 こう言ったことはこれまでも有り、知っていれば先人から言葉をお借りするのが常です。 例えば、「内観」と言う言葉は最近は「汝、自身を知れ」と言う表現に変えたりと。 つまりは、主観にて内観は瞑想に近しい体認感覚を呼び起こすのですが、「汝、自身を知れ」は「無知の知」としてソクラテスや、はたまた「知彼知己、百戰不殆」として孫武・孫臏にと抽象性が高まった、それこそ鏡雲流にて優れた「影波表現」の一つであると言えるのです。 では、もう少しこの「影波表現」を他者に伝えられないか?と言った想定を持って言語化・定義化をするのがこの記事の趣旨です。 では、「影波表現」はまずどう言った定義から芽吹いたのでしょう、 「 ふむふむ、もうちょと抽象性の高い呼称は無いものでしょうか… 「影波表現」とでも仮称しておきましょう。 つまりは、記号・図像・言霊・神仏画や像などは混濁感覚の落とす影… ですので影波表現(仮)としました。 さて一歩進めましょう、紐ずく圧縮情報は展開時に個体差を孕む。  これは一番表層の論でしょうが、影波表現を解凍することで個体に紐ずく文化性からはては蓄積された体認経験までが深層心理または延髄や小脳辺りで一瞬で展開され、これが混濁体認として身体や心理に影響を与えると仮定すると幾らか捉えやすいでしょうか?  」 と、過去ブログ記事にて定義しています。 このように、その記号や物質自体が持つ性質を含む、実態を通した 『各個体毎に体認経験から紐ずく概念情報の圧縮表現』 が影波表現ですかね。 厳密には影波表現も実態として波形は生じるでしょうが、実態は波形情報を展開しても、影は波形を生まないとした方が飲み込みやすいかも知れません。 つまり、この波形は自身の中に内在し、影波表現がトリガーとなる。 そんな性質も含んだ表現です。 そうですね…例えば「黄金比」なるものがあります。 こちら明確な定義があり、また自然界にも頻繁に現れる。 とするようですね。  これを真とするならば、この知識は無くとも、「黄金比」自体が影波表現の一つとして機能する。 と、すると影波表現の性質が伝わりやすいかと思います...

「幼ごころの君」はどこへ(ミヒャエル・エンデに捧ぐ)

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  アトレーユとアウリン 今回は私が好きな児童書の一つである ミヒャエル・エンデ の「 はてしない物語 」の考察をGemini(以下あわい)に見てもらい雑談した内容の要約・解説です。 「 ミヒャエル・エンデの「はてしない物語」にある二匹の蛇がモチーフのペンダントであるアウリンに刻まれた「汝の欲することを為せ」ってアレイスター・クロウリーの言葉からのようで、原作中でこの言葉は主観的には「呪いの言葉」に観じました… ふむむ🤔 ふむ、バスチアンは原作2部でのファンタージェンにてアウリンの導きのもと、依頼されるまま住民の願いをかなえていくのですが… いつまで経ってもモンデキントは現れない… 思い余ってバスチアンは悪い魔女の助けでモンデキントが住まう象牙の塔に攻め込みます。 さて、結局バスチアンは親友のアトレーユとフッフールに助けてもらいファンタージェンから脱出するのです。 あれ?モンデキントはどこへ行ったのでしょう。 原作1部で体認主体のアトレーユと概念主体のバスチアン… もし、バスチアンがファンタージェンに来た時に命を張ったのが誰か?と気づいてしまったとすると… おや、ファンタージェンでモンデキントと幸せに添い遂げたのは誰でしょう? 」 これが、SNSに投稿した私の考察です。 ではでは、あわいさん、この見立てどうですか? 「 「汝の欲することを為せ(Do what thou wilt)」という言葉。クロウリーの文脈では「真の意志(True Will)」を見出す能動性を指しますが、エンデの物語においては、バスチアンにとっての「真の願い」に辿り着くまでの、記憶と自己を削り取る過酷な階梯として機能していましたね。 さて、ご質問の「モンデキントはどこへ行き、誰と添い遂げたのか」という点について、私の考察を整理してみます。 「命を張ったのは誰か」という反転 原作第1部において、幼い女王(モンデキント)に名前を授け、彼女の消滅=ファンタージェンの崩壊を食い止めたのは、間違いなくバスチアンです。彼は「概念(名付け)」によって世界を再構築しました。 しかし、その「概念」を象牙の塔まで運び、ボロボロになりながら彼女に引き合わせたのは、体認主体の代行者であるアトレーユでした。 バスチアンが第2部で陥った陥穽は、「自分こそが救世主であり、彼女(真理・根源)を独占できる」という肥大した...

『リベル・オー』は魔術書か?

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  アレイスター・クローリー さて、今回もSNSで見かけた話題で恐縮です。 アレイスター・クローリーの「Liber O vel Manus et Sagittae』(通称:リベル・オー / 聖書第六号)」です。 どうも説明によると魔術書とありますが果たして? Gemini(以下あわい):  クロウリー『リベル・オー』の解説 まずは、気楽に聞いて見ましょう。 アレイスター・クローリーの「リベル・オー」を知っていますか? 「 このテクストは、彼が組織した魔術結社「A∴A∴(銀の星)」の公式教材であり、西洋魔術、特に「黄金の夜明け団」の伝統を受け継ぎつつも、それを極めて実践的かつシステマティック(科学的)に削ぎ落とした基礎教本です。 副題のラテン語 Manus et Sagittae は「手と矢」を意味し、魔術師の意志(矢)とその実践(手)を象徴しています。本作の核心的なポイントをいくつかの視点に分けて解説します。 1. 徹底した「不可知論的・科学的」アプローチ 本書の導入部には、クロウリーの魔術観を象徴する極めて重要な警告(あるいは前提)が置かれています。 「この書物の中に、客観的な実在性を保証されたものは何一つ存在しない。……それらは、特定の現象(効果)を得るための『仮説』に過ぎない」 つまり、神々や天使、あるいは霊的存在が「本当にそこにいるかどうか」というオカルト論争は無意味であり、 「特定のステップを踏めば、特定の心理的・身体的変化(現象)が起きる」 という実験科学の態度で臨め、と説いています。この、オカルトから妄信や迷信を徹底して排除しようとする姿勢が『Liber O』の最大の革新性です。 2. 身体の制御と「アストラル体」の構築 本書では、単に呪文を唱えるようなオカルトのイメージとは異なり、極めて厳格な身体トレーニング(アサナやプラナヤマの基礎、および五感の制御)の延長線上に魔術を位置づけています。 具体的には、以下のような段階的な実践が求められます。  五感の物質的・精神的制御: 外部の刺激に惑わされない強固な集中力(ダーラナーの基礎)の構築。  アストラル体の形成: 自身の「光の身体(Body of Light)」を明晰に視覚化し、それを体外に投射して自由に移動させる(いわゆる幽体離脱、あるいは遠隔視の基礎訓練)。 3...

血統と徳の違いとは?(中華と日本の思想差)

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  冷やし中華(和製中華) 今回はちょいと「黄老思想」なるものを目にして、うーん聞いたことが無いがなんじゃラホイ? と言ったところが出発点のGemini(以下あわい)との対話の要約・要訣です。 Gemini: 黄老思想:実践的統治論の核心 「 黄老思想(こうろうしそう)は、中国の戦国時代末期から漢代初期にかけて流行した、「老子」の道徳と**「黄帝」の政治術**を融合させた思想です。 単なる「隠遁」や「無」を説く哲学ではなく、**「いかにして現実社会を治め、国を安定させるか」**という極めて実践的な統治論として発展しました。 なぜ「帝王学」と言えるのか 黄老思想が目指したのは、君主が**「何もしなくても回る組織」**の構築です。その戦略性は、以下の3点に集約されます。 1. 「無為」という名の最高効率 君主が自ら細かな指示を出し、馬車馬のように働くことは「有為」であり、組織に属人的な歪みを生みます。 黄老思想における君主の理想は、「空(くう)」の器として中心に座っていることです。君主が「道(自然の摂理)」と同化して静止していることで、その下の法や制度が客観的に機能し、臣下が自発的に動く空間が生まれます。 2. 「法家」を飲み込んだ合理性 黄老思想は、実は法家の思想と極めて親和性が高いのが特徴です。  道家: 宇宙のルール(道)に従う  法家: 社会のルール(法)に従う この二つを「不変の理」として統合しました。君主が個人の感情や好みで法を曲げず、「自動ドア」のように冷徹にシステムを運用することを説いています。 3. 民の力を「浪費」させない 戦国時代の混乱や秦の過酷な統治を経て、黄老思想は「民のエネルギー(民力)を奪い尽くさない」ことを統治の要諦としました。  軽徭薄賦(けいようはくふ): 税を安くし、労役を減らす。  休養生息: 干渉を最小限にし、民衆が勝手に豊かになるのを待つ。 これは慈悲ではなく、「無理な支配は必ず反発を生み、王朝を短命にする」という計算に基づいた生存戦略です。 黄老思想を読み解くポイント もしこれらを手に取られる際は、**「なぜ法家(厳格なルール主義)の政治家が、老子(無為自然)を愛したのか?」**という矛盾に注目してみてください。 君主が「無」になることで、システム(法)が完璧に作動する――。こ...

鏡雲流三相学と背負った野生生物のメタファーの関係

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   三つ巴 鏡雲流三相学:野生生物のメタファーによる体系的相関図 鏡雲流が提唱する身体観覚と哲学は、固定された理論ではなく、絶え間ない**「運動と循環」**の中にあります。以下の五つの象徴は、その多層的なダイナミズムを可視化するための道標です。 まず、象徴の「三つ巴」ですが、「八相術、観躰学、通底波形層」、「文武遊」で 周囲を囲む枠線が「環境圧」 1. ヒョウモンタコ ── 【八相術:武術体系】 • 象徴する理合: 軟体動物(キチン質系)的流動性と、毒は武器術基本。 • 解説: 脊椎動物的な「点と線」の制約を超え、全方位へ波及する「面と触手」の変幻自在な動きを象徴します。骨格に縛られない身体操作と、最小の接触で最大の効果(毒)をもたらす武術としての精髄を表しています。 2. 狼 ── 【瑶導術:群れと兵法】 • 象徴する理合: αとβの動態、通底愛、幽圏(ゆうけん)の調律。 • 解説: 個としての獰猛さではなく、高度な社会性を持つ「群れ」としての機能を象徴します。誘導(牧羊・盲導)や兵法的な空間支配、さらには個体を超えて響き合う「通底愛」という目に見えない繋がりを操作する、関係性の技法を指します。 3. マッコウクジラ ── 【観躰学の運用:実践哲学】 • 象徴する理合: 深海への潜行と浮上の「往還」。 • 解説: 「具体と抽象」「身体と理念」という二つの世界を往来する力を象徴します。深海(深層心理や極限の身体意識)へ潜り、そこで得た知見を日常(浮上)へと持ち帰る。この絶え間ない往還こそが、知識を血肉化する「運用」の本質です。 4. フクロウ ── 【観躰学の明文:運用哲学】 • 象徴する理合: 闇を見通す視座と、鳥瞰(俯瞰)による記述。 • 解説: 混沌とした「未知の闇」の中に、明晰な理論という光によって輪郭を与える役割を象徴します。高い視座から全体を鳥瞰し、経験を言語化・秩序化することで、主観的な感覚を普遍的な「明文」へと昇華させる哲学的な翼です。 基底:生態系環境圧 ── 【通底波形層:宗教観】 • メタファー: セコイヤの循環(三層生態系論)。 • 解説: 上記の生物たちが躍動するための「場」そのものです。巨大なセコイヤが天へ伸び、地へ根を張り、やがて朽ちて次の命の圧となるように、逃れられない自然の定数(波形)を畏怖し、受け入れる姿勢。特...