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概念知の四大元素、体認知の五行思想 (雲流における神)

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  四大元素と五行 今回は、ちょとした雑談で、毎度のことの体認知と概念知の視座の違いによるGeminiとの雑談 ① ② です。 まずは、陰陽五行説でなく、五行説はどう陰陽論と交わっていったかを探りつつ考察しましょう… 四大元素も… こちらはかなり出自が確かなはず。 (Gemini:四大元素と五行思想) 「 ギリシア起源の**「四大元素説(地・水・火・風)」と、中国起源の「五行思想(木・火・土・金・水)」**は、それぞれ独立して発生し、後にシルクロード(ヘレニズム世界やインド)を介して接触・影響し合ったと考えられています。 相互影響のポイント 1. 直接の模倣ではなく「概念の対比と補合」: 中国に仏教が伝来した際(漢〜南北朝時代)、仏典にある「四大(地・水・火・風)」の訳語として、すでに定着していた「五行」の考え方が比較・対照されました。しかし、五行の「木・金」と四大の「風」の相違などもあり、互いに混同されることなく**「仏教医学・世界観=四大」「道教・漢方=五行」**として並立・共有されました。 2. 錬金術における技術の伝播: 製紙術や印刷術だけでなく、蒸留器(アランビック)などの実験器具や水銀処方の知識は、シルクロードおよび海のシルクロード(イスラム商人)を通じて中国からアラビアへ、そして中世ヨーロッパへと伝播し、西洋錬金術の発達に多大な影響を与えたとされています。 」 面白いのは四大元素は、おそらく概念知 由来の切り分け、つまりは観測と実証実験の思想 つまりは、各要素の科学的変化由来。 五行思想は体認知由来、つまりは自身の身体を通しての体認経由の反応が相生・相剋と思えますが。 (Gemini:東西主客の扱い) 「 東西の身体観・世界観の分岐点 この二つの違いは、**「人間は世界をどこから見ているか」**という立ち位置の違いに集約されます。  四大元素(西洋・主客分離): 主観(人間)と客観(自然・物質)を切り離し、外側から「観測対象」として解剖・分析・記述する視点。そこから「概念知」や「実験科学」が発展しました。  五行思想(東洋・主客未分・身土不二): 人間自身が宇宙・自然の一部であり、「自らの身体(臓腑・骨肉・気の流れ)の中に宇宙の動きと同じリアリティを感じ取る」という身体知(体知・体認)の視点。 だからこそ、五行思想はそのまま...

雲流から見るピタハン族

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  ピタハン族 さて今回は、 チョムスキー とピタハン族の扱う言語の話です。  では、簡単に解説を。 (Gemini:チョムスキーとピタハン語) 「 言語学者**ノーム・チョムスキー(Noam Chomsky)が提唱した言語学の根幹理論と、アマゾンの先住民族が話すピタハン語(Pirahã)をめぐる論争は、「人間の言語と言語獲得の本質とは何か」**という現代言語学・認知科学の最大のテーマの一つです。 この二つの関係性と、なぜそれが言語学界に大きな激震をもたらしたのかを詳しく解説します。 1. チョムスキーの「普遍文法(UG)」理論 まず、チョムスキー側のアプローチを整理します。チョムスキーは1950年代以降、言語学に革命をもたらしました。  普遍文法(Universal Grammar / UG): 人間の脳には、生まれつき言語を獲得するための共通の生物学的基盤(言語獲得装置)が備わっているという説です。  生れつき(生得性)の重視: 子供がわずかな入力(周囲の大人の発話)から複雑な文法を完璧に習得できるのは、人間に共通の「生体プログラム(普遍文法)」があらかじめ遺伝的に組み込まれているからだと考えました。  「入れ子構造(回帰性 / Recursion)」が最大の核: チョムスキーと言語学者マーク・ハウザー、W. テカムセ・フィッチらは2002年の共同論文で、**「回帰性(Recursion)」こそが人間言語を他の動物のコミュニケーションと分かつ唯一の中心的要素(FLN: Faculty of Language in the Narrow Sense)**であると提唱しました。  回帰性の例: 「[太郎が[花子が[本を買った]と言った]ことを知っている]」のように、節の中に別の節を無限に組み込んで(入れ子にして)複雑な文を作れる構造。 2. ピタハン語とその異彩を放つ特徴 ピタハン語は、ブラジル・アマゾンのピタハン族(人口数百人程度)が話す言語です。言語学者・宣教師であった**ダニエル・エヴェレット(Daniel Everett)**が長年のフィールドワークを通じて詳細に調査しました。 エヴェレットの報告によると、ピタハン語には一般的な言語に見られる構造や概念が徹底的に欠落しています。 3. 何が論争となったのか?(チ...

雲流では悪魔または悪魔崇拝をどう観意するか?

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 。 バフォメット さて、雲流では過去にちょくちょく悪魔の図像や悪魔崇拝と言うものは何じゃろか?と言う問い立てで、 Geminiと雑談 してきました。 つまりは、雲流は悪魔をどう捉え、どう言った立ち位置・視座であるかの表明が目的です。 まずは、身のある対話にするため認識をすり合わせましょう。 まず、サタンはイブに知恵の実を食すようそそのかした蛇と言う認識で、新約聖書由来で合っていますかね? (Gemini:悪魔とは) 「 はい、その認識の通り旧約聖書由来です。 『ヨブ記』に登場する「サタン(ヘブライ語: הַשָּׂטָן, ha-satan)」は、後世のキリスト教で描かれるような「絶対的な悪の王」や「神の宿敵」ではなく、神の宮廷(天上の会議)に出入りする一人の臣下・検事のような役割として描かれています。 旧約聖書におけるこの段階の「サタン」の性質には、以下のような特徴があります。 1. 原語の意味は「告発者」「妨害者」 ヘブライ語の「サタン」は、本来は固有名詞(個人名)ではなく、**「告発する者」「敵対する者」「尋問官」**といった役割や機能を示す普通名詞(冠詞がついた ha-satan)です。裁判で言えば「検事」にあたるポジションです。 2. 神の絶対的権威の下にある「試練の執行者」 ヨブ記(1章〜2章)において、サタンは勝手に人間に災いをもたらすわけではありません。 「ヨブが神を信仰しているのは、恵まれているからに過ぎない」と神に主張し、神から許可と限度(「彼の命には手を出すな」等)を与えられた範囲内でのみ、ヨブの信仰心を試すための不運や試練を与えます。 つまり、神の意思や支配権の「枠内」で動く機能・存在として描かれています。 旧約から新約への「悪魔像」の変遷 このように整理すると、聖書における「悪魔・サタン」の像は大きく二つの段階を踏んでいることが分かります。 1. 旧約聖書段階(ヨブ記など)  神の絶対的な一元論のもとで、人間の真価や信仰心を炙り出す**「検察官・テストの試行者」**としての役割。 2. 新約聖書段階(黙示録など)  神の秩序や善に対立し、人間を誘惑・堕落させようとする**「神の敵対者・悪の根源」**としての二元論的な役割(エデンの園の蛇との同定もここで行われます)。 「信仰心を試す存在」「境界線を突きつける存在...

そう言えば「江戸しぐさ」って今どうなってんの?(バンクシーに捧ぐ)

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  そう言えば、結構前に「江戸しぐさ」ってあったけど、そもどんな主張で今どんな扱いなんじゃろか?が起点 ① ② のGeminiとの雑談・要約です。 (Gemini:江戸しぐさ) 「 かつてACジャパンのCMや道徳の教材(『私たちの道徳』など)で大々的に取り上げられ、ブームとなった**「江戸しぐさ」ですが、現在の状況を一言で言うと「歴史的根拠のない創作(偽史・ニセ伝統)として批判が定着し、公的な場からはほぼ姿を消した」**という段階にあります。 現在における主な展開と状況は、以下のように整理できます。 1. 歴史学・文献学における評価の定着 2010年代半ばにかけて、歴史研究者やライター(原田実氏の著作『江戸しぐさの正体』など)による検証が進みました。  史料の不在: 江戸時代の文献や記録には「江戸しぐさ」という言葉も、その内容(「傘かしげ」「肩引き」などの独自の商人の教え)も一切登場しないことが確認されています。  歴史的事実との矛盾: 昭和40~50年代に提唱者(芝三光氏ら)によって創作・拡張された現代のマナー啓発運動であったことが明らかになり、学会や論壇では「現代で作られた創作マナー(ニセ伝統)」として決着がついています。 2. 教育現場・教科書からの撤退 かつては文部科学省の道徳教材や一部の小中学校の道徳授業で「江戸の素晴らしい道徳観」として紹介されていましたが、批判を受けて急速に収束しました。  教科書検定での見直し: 歴史的批判が高まったことを受け、検定教科書や副読本からの削除や差し替えが進みました。  教育現場での扱い: 現在では「史実として教えてはならない例」や「ニセ科学・ニセ歴史の典型例」として議論されることのほうが多くなっています。 3. 現在の社会的扱い・ポジション 現在「江戸しぐさ」という言葉が使われる文脈は、主に次の3つに集約されています。 1. マナー批判・ネット文脈での比喩: 「後付けで作られた理不尽なマナー」や「伝統を捏造して押し付ける行為」を批判・揶揄する際の代名詞(「〇〇版の江戸しぐさ」など)として使われるケース。 2. ニセ歴史・情報リテラシーの検証事例: 「一見すると聞こえの良い話が、どのようにして公的な教育やメディアに侵入して広まってしまったのか」という、情報リテラシーや行政の検...

「チ。」ってどんな漫画なんだろうwktk(認知戦入門)

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  「チ。」 さて、今回はいつか読みたい漫画として私の中で話題沸騰の「チ。」について、こんな投稿をSNSにて見かけました。 SNS投稿 「 『チ。』は実は異世界ラノベなんかより遥かにタチが悪いです。あそこで描かれた、「地動説を弾圧する教会」という構図は実際にはほとんど起こらなかった事で、19世紀に「発明」された歴史観です。20世紀の後半から半世紀以上をかけて歴史家や科学史家が否定、修正し続けていますが、ほぼ無批判になぞって、しかもリアルな歴史のような顔でやっていて、かなり罪が深い。 」 ふむ🤔 随分と批判的な印象ですが… とりあえずは、これを真であるとしてのGeminiと雑談 ① ② の要約です。 例えば魔女の糾弾などは教会は止めようとした側で、実際は民衆の暴走の方が多かったような言説を耳にしたことがありますが、事実かはともかく興味深いですね。 私の指摘に対して、そう言った記録は実際残っているとのことです。 ふむ、ではこう言った考察はどうでしょうか? 天動説学派が教会を抱き込み執拗に嫌がらせした。 などは現代でも近代でもチラホラ聞くストーリーですよね… 例えばどうでしょう… いや、日本でも鈴木梅太郎や、数学会ならペレルマンなど該当しませんか? (Gemini:近現代卑近な例) 「 なるほど、おっしゃる通りです! 「新しい成果を出した孤高の天才や異端の説に対し、既存の学閥や主流派の権威が足を引っ張る・正当に評価しない」という人間模様の文脈で見れば、鈴木梅太郎やペレルマンの事例はまさにその典型であり、歴史や分野を問わず繰り返される普遍的な現象と言えます。 それぞれの事例がどのようにその構図に当てはまるのか(そして何が起きていたのか)、改めて整理してみると非常に興味深い実態が見えてきます。 1. 鈴木梅太郎:日本の医学界(東大派閥)による激しい冷遇 鈴木梅太郎が1910年に「オリザニン(のちのビタミンB1)」を発見した際の経緯は、まさに**「既存学閥による新説の殺害」**と言える痛烈な歴史です。  東大医学部のドグマ: 当時、陸軍や東京帝国大学医学部の主流派(高木兼寛らの食養説に対抗していた山極勝三郎や緒方正規ら)は、脚気を「脚気病原菌による感染症」であると信じて疑いませんでした。  農学者の排除: 農学者であった鈴木梅太郎が「米ぬかに含まれ...