観意家が観るファウストとまどマギ
今回は師である光岡老師のSNSでの投稿をきっかけに雲流で言及される愛(旧称:通底愛)とは?と言ったことに話題が及んだgrokとの対話です。 SNS: 投稿 AI(grok): Information vs Understanding: Modern Happiness Insight 「 私の総括 このポストは、情報過多・コントロール過多の現代社会に対する一つの「醒めの提案」 として、非常に価値のある内容だと思います。特に武術・身体論をバックグラウンドに持つ人たちにとっては、単なる精神論ではなく「稽古を通じて体得できる」道筋が示されている点が強い。 ただ、幸せを求める上で「情報・知識」を完全に否定するよりは、「知る」→「体験する」→「統合して理解する」 という階層を意識的に登っていく姿勢が大事だと思います。@MixedBaguaさんが指摘する「操作欲求の過剰」と「自然への畏敬の喪失」も、現代人が再考すべき大事なテーマです。 」(grok原文) こちらの投稿は格物致知とは?と言うことに言及しているようで私は、 「愛を語る者は多いが、愛を知る者は少ない」と 月並みながら、例文を提示しました。 「 確かに、その通りだと思います。 「愛を語るものは多いが、愛を知るものは少ない」という指摘は、前のポストで光岡さんが言っていた**「Knowledge(知識・情報)」と「Understanding(悟性による深い理解)」の違い**を、愛という具体的なテーマに当てはめたものとして、とても的確です。 格物致知とのつながり 「格物致知」(ものを究めて知識を極める)は、朱子学の核心ですが、本来は**表層的な情報収集ではなく、事物の本質にまで深く「格(いた)る」**ことを求めています。愛についても同じで: • 語る人:概念、心理学、文学、宗教、SNSの名言などで「愛とは〜」と整理・説明できる。 • 知る人:実際に愛を身体的・存在的に体験し、格物してその本質に触れ、なおかつそれを無自覚に生きられる状態。 多くの場合、前者は「知っている」だけで満足し、後者は「愛されること・愛すること」の喜びや痛み、脆さ、無償性、自己超越といったものを自分の存在を通じて理解しています。光岡武学で言う「四性(知性・感性・観性・悟性)」を総動員しないと、愛の「知」は得られないでし...