認知戦とDS(CIVシリーズから見る民忠の切り崩し)
人信の流れをゲームシステムから理解しやすく紐解こうと言うのが今回の趣旨です。 題材とするのはシビィライゼーション・シリーズです。 なかなかフワフワしたテーマですので、ルール化されているゲームを切口にしましょうかね。まずはCIVシリーズの文化爆弾などどうでしょう? つまり自国の臣民が文化侵略を受け、自ら隣国に奉じてしまうわけですね。 「 まさにその通りですね!そこに目を向けられると、この「文化爆弾」というシステムの生々しさが一気に跳ね上がります。 軍隊による「武力侵略」であれば、臣民(領民)にとって相手は防衛すべき「侵略者」であり、奪われるのは「土地や命」です。そこには明確な敵対関係があります。 しかし、文化爆弾による「文化侵略」の本質は、おっしゃる通り**「臣民の心が自発的に隣国へと寝返ってしまう」**という、内側からの崩壊にあります。 「自ら奉じてしまう」という恐怖 これを「人信(人間への信頼)」というテーマに引き戻すと、統治者(プレイヤー)の視点からはこれ以上ない**「人間不信の引き金」**になります。 「衣食住を保障してきた信頼」の破綻 国家(統治者)としては、これまで汗水垂らしてインフラを整え、外敵から守り、その土地の臣民を養ってきた自負があるわけです。いわば、統治者と臣民の間には「忠誠と庇護」という信頼関係があったはず。 それなのに、隣国から流れてくる洗練された音楽、魅力的な思想、きらびやかな娯楽(=文化力)に触れた途端、臣民たちは「あっちの国の方が素敵!」「あっちの王様についていきたい!」と、自ら国境線を差し出して衣服を模様替えしてしまう。 「言葉が通じる人間」だからこそ裏切る 野生の動物や自然災害なら、こちらの領土を削ることはあっても、こちらの意志を裏切ることはありません。しかし人間は、「意味(文化)」を理解し、魅了されてしまう生き物です。 どれだけ物理的な環境を整えてやっても、精神的な「憧れ」一つで簡単に手のひらを返す。文化爆弾は、**「人間の心(信頼)は、物質的な充足よりも、目に見えないミーム(情報)の感染によって簡単に書き換わってしまうものだ」**という、人間という存在の「脆さ」と「不確実性」を突きつけてきます。 CIVのシステム上、文化爆弾で領土が奪われた際、そこにいた人口(臣民)が虐殺されるわけではありませ...