出口王仁三郎と植芝盛平から観意する大本教
大本教 ※ 鏡雲流と雲流 用語解説 私は富木合気道と言う合気道流派を若干学んだ経験を持ち、その延長で合気道もかなり興味の対象ではありました。 最近は光岡武学に学んだことをキッカケに雲流三相学と言う武術流派を創始して、その副産物として環境圧学がこちらは発生したと言う認識です。 つまりは、今回のテーマは 環境圧学から観意する大本教 です。 まずは出口王仁三郎と言う開祖と合気道の開祖である植芝盛平が心酔していたと言う認識です。 こちらの人物について、まずは確認しましょう。 (Gemini:出口王仁三郎) 「 出口王仁三郎(でぐち わにさぶろう、1871〜1948年)は、日本の近代宗教史において極めて強い強烈な存在感を放った異色の宗教家であり、芸術家・思想家・預言者としても知られる人物です。 なお、大本の「創始者(開祖)」は出口なお(女性)であり、王仁三郎はなおの娘婿として入信し、教団を飛躍的に発展させた「聖師(実質的なカリスマ的指導者)」となります。 植芝盛平との関係をはじめ、王仁三郎という人物の多面的な魅力と波乱に満ちた生涯について分かりやすく解説します。 1. 生涯と「大本」の発展 京都府亀岡の農家に生まれた王仁三郎(旧名:上田喜三郎)は、幼少期から高い知性と強い霊感を持っていたと伝えられています。 大本への参入: 霊的修行を経て救世の使命を自覚した彼は、1899年に「艮の金神(国常立尊)」の神託を受けて大本を開教していた出口なおと出会います。なおの五女・すみと結婚して出口姓となり、教団の組織化に着手しました。 二大聖地の確立: 厳格で禁欲的な開祖・なおに対し、王仁三郎は非常に開放的で柔軟な思想の持ち主でした。彼は綾部と亀岡の2箇所に聖地を整備し、新聞社(大阪日報)を買収するなど現代的なメディア戦略を駆使して、大本を全国的な大教団へと拡大させました。 2. 植芝盛平(合気道開祖)との強い絆 植芝盛平が大本に入信したきっかけは、危篤となった父の平癒を祈るために綾部を訪れ、王仁三郎に出会ったことでした。王仁三郎に深く魅了された植芝は、そのまま綾部に移住し、王仁三郎の護衛兼側近として深く関わることになります。 合気道の精神的ルーツ: 王仁三郎は植芝の卓越した武術の才能を見...