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何故?日本で神様を柱で数えるの?で始まるエトセトラ(ゲームが広げる教養)

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  TESシリーズ シェオゴラス 今回はVtuberの 七瀬すずな さんの配信で、「コレじゃ鬼殺隊で柱になれない」と言う発言を聞き、そう言えば…柱は日本で神様を数える時の表現ですよね… やはり、「 鬼滅の刃 」は日本が舞台であるようですので… 念のため、どう言った含意で使ってるんじゃろか? と言う、未読故の疑問を出発点とするGeminiとの雑談の要約・解説です。 (Gemini:柱?) 「 神の数を「一柱(ひとはしら)」と数えるのは、古来の日本において**木や柱が「神の宿る場所(依り代)」**と考えられてきたことに由来します。 主な理由は以下の3点です。  大木・柱への信仰(依り代) 古くから神は常駐しておらず、普段は別の場所にいて儀式の際に降りてくると信じられていました。天に向かって立つ大木や柱は、神が降臨するための「目印」かつ「通り道(依り代)」とされたため、神そのものを柱で数えるようになりました。    神話における記述 『古事記』や『日本書紀』などの日本神話において、国造りの際にイザナギとイザナミが「天の御柱(あめのみはしら)」を立ててその周りを回る描写や、出雲大社の巨大な柱など、古代から神と柱は密接に描かれています。    世界や生活を「支える」象徴 建造物の構造を支える柱のように、目に見えない神々も「この世界や人の暮らしを支える大切な存在」であるという見立てや敬意が込められています。   木彫りの神像(御神体)を1本、2本と数えていた名残という説もあり、神様への敬意と日本の自然信仰が結びついた特有の数え方です。 」 おーそのものズバリで家屋などに見られる柱から来ているが有力なようです。 日本は木造建築文化であり、法隆寺五重塔にしても、また大黒柱と言った表現にしてもで、日本での柱の重要性はよく理解できる所です。 柱=巨木の人為的加工 ですので、自然そのもののアニミズムから一歩洗練化された宗教観故でしょう。 つまりは、その根に山岳原生林信仰があり、その延長での神社・宮大工と言う神の住まう場所と職人技術崇拝などが混在していそうです。 対話した時は、考察自体は未展開でしたので次の設問は、山岳原生林文明が由来でありそうであると、 では、大きく日本に影響を与えた中華では神格はどう数えるのでしょう?...

観意視座での「イエスに香油を注ぐ女達」

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  イエスに香油を注ぐ女 さて、今回は私にとって知識の薄いキリスト教… つまりは新約聖書でのエピソードである「香油を注ぐ女」についてです。 さて、キリスト教徒では無い私が何故、聖書のエピソードについて印象があるかと言えば、様々なメディアでの散見する話は勿論、高校生の頃におそらく新約聖書を母校の高校の前で配っていたのを読んだり、ビジネスホテルに備え付けてある「新約・旧約聖書」に目を通したことがあるからです。 この話を出発点にした Geminiとの雑談 です。 さて、まずはGeminiに該当するエピソードの詳細を提示してもらいます。 (Gemini:二人の香油を注ぐ女) 「 聖書には女性がイエスの足(または頭)に香油を塗り、それを見た周囲の人間が批判し、イエスがそれを嗜めて女性を庇うエピソードが記されています。   福音書によって「誰が女性を批判したか」や「イエスがどう叱責したか」の焦点が異なり、大きく分けて2つの文脈で語られています。 1. 「罪深い女」の悔い改めと赦し(ルカによる福音書 7章) ファリサイ派のシモンという人物の家で食事をしていた際、街の「罪深い女」が涙でイエスの足を濡らし、髪で拭き、香油を塗った場面です。 周囲の批判: 家の主人シモンは心の中で「この人が預言者なら、触らせている女がどんな罪人か分かるはずだ」と冷やややかに見下しました。 イエスの叱責と教え: イエスはシモンの高慢さを見抜き、二人の負債者のたとえ話を出して諭しました。 「あなたがたはこの家で私に足を洗う水も出さず、挨拶の口づけもしなかったが、彼女は涙で足を洗い、足に口づけし、香油を塗ってくれた。多く赦された者は、多く愛するのだ」 イエスは冷淡な態度をとった主人シモンを戒め、女性の深い感謝と信仰を称賛してその罪を赦しました。 2. 香油の無駄遣いだと咎めた弟子への叱責(マタイ・マルコ・ヨハネによる福音書) イエスが十字架にかかる直前、ベタニア村で起きたエピソードです。(ヨハネ福音書では、女性の名はラザロの姉妹マリアとされています) 周囲(弟子たち・ユダ)の批判: 非常に高価な香油(労働者の1年分の給与に相当)を惜しげもなく注いだ女性を見て、弟子たち(特にイスカリオテのユダ)は「なぜこんな無駄遣いをするのか。売って貧しい人々に施せばよかったのに」と激しく怒り、女性を責め立て...

戦時の憑依と平時の愛

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大天使ミカエル さて今回は 「義和団の乱」について調べたことの延長で平時と戦時の違いについて面白い考察が出来ましたと言う、 Gemini との雑談 の要約・解説。 (Gemini:義和団の乱) 「 **義和団の乱(ぎわだんのらん)**は、1899年から1901年にかけて中国(清朝末期)で発生した、排外主義的な民間宗教団体「義和団」を主体とする民衆運動と、それに連動した列強諸国との戦争です。 中国では「義和団運動」、欧米では「ボクサー戦争(Boxer Rebellion)」と呼ばれます。 1. 発生の背景  列強による中国分割:日清戦争(1894〜1895年)で清が敗北したことをきっかけに、欧米列強や日本が中国国内に租借地を獲得し、勢力圏を急速に拡大しました。  キリスト教の布教と摩擦:洋教(キリスト教)の布教に伴い、伝統的な地元の習慣や権益が侵害され、民衆の間にキリスト教徒や外国人に対する強い反感が高まりました。  天災と社会不安:1890年代末に華北地方を襲った大洪水や大日照りなどの天災により、農民の生活が困窮。「外国人が神の怒りを買ったため天災が起きた」という噂が広がりました。 2. スローガンと展開  「扶清滅洋(ふしんめつよう)」:清朝を助け、西洋(外国人・外来文化)を滅ぼすという標語を掲げました。  義和団の拡大:拳闘(ボクシングに似た拳法)や呪術を行う民間結社「義和拳」から発展し、山東省から北京・天津方面へと急拡大しました。  清朝の対応と公使館包囲:当初、清朝政府は義和団を鎮圧しようとしましたが、勢力の大きさと民間の反外感情を利用して列強に対抗しようと考え、一転して義和団を支持。1900年6月、清朝の西太后は列強に対して宣戦布告し、北京の外国人公使館街を包囲・攻撃しました。 3. 列強の介入と鎮圧  8カ国連合軍の結成:日本、イギリス、ロシア、アメリカ、フランス、ドイツ、イタリア、オーストリア=ハンガリーの8カ国が連合軍を結成して派遣されました(主力を担ったのは日本とロシア)。  北京陥落:1900年8月、連合軍は北京を占領・攻落。西太后と光緒帝は西安へと逃亡しました。 4. 結果と影響(北京議定書) 1901年9月、清朝政府と11カ国との間で事後処理条約である**北京議定書...