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応用としての雲流の観意視座とは?(論文と伝書の違い)

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   雲流三相学の図示 今回はSNSで見かけたちょっとした文章を、ホムホムなるほどにゃー🤔 と、眺めつつも、この話はどういった古典にて語られているのじゃろか? と、ChatGPTに質問したことに由来する。 いつものGeminiとは違う 一風変わった雑談 の紹介・要約です。 では、見かけたSNSでのポストです。 「 最近将門公がよく話題になっておりますが、将門公の娘さんもそれはそれはかっこいいお方でしてね。名を「さつき姫」。 父の恨みをはらすため、日の本中のあらゆる呪術を学び、貴船神社に丑の刻に何度も参り、貴船の神様から妖術を授かった。 その後自らを『滝夜叉姫』と名乗り、朝廷への復讐を果たすため、お供の巨大な鬼と蜘蛛、「夜叉丸」「蜘蛛丸」を連れて父の遺志を継ぎもう一度反乱を起こそうとするとかいう気骨溢れまくったお方。 結局陰陽師に負けて諭されたあと将門公の供養のために出家して尼寺で過ごしたらしい。 ちなみに戦いの際に恨みを集めて召喚したのが巨大な骸骨の化け物、皆んな大好きかの有名な『がしゃどくろ』様だ!⬇️ この歌川さんの絵で知ってる人も多いのではないでしょうか。 昨日の地震の震源地は将門公の胴塚ですが、そこからまた少し離れたところにこのお方のまだちゃんとお墓もありますねぇ。 」 おや、まぁ…こーりゃ面白いですね。 これは出典は何でしょうか? (ChatGPT:滝夜叉姫と言う特定の難しい出典) 「 はい。調べてみると、これはかなりはっきりした出典があります。ただし、投稿文の内容そのものが一冊の古典にそのまま載っているというより、「滝夜叉姫」という伝説・芸能・浮世絵上のイメージが複数の作品を経て形成されたものと考えたほうがよさそうです。 特に重要なのは次の三つです。 まず一番近いのは、夢枕獏『陰陽師 瀧夜叉姫』 陰陽師 瀧夜叉姫です。 文藝春秋の『陰陽師 瀧夜叉姫 上』⁠ これは2005年刊の長編で、平将門・滝夜叉姫・陰陽師・妖術などを大きく扱っています。文庫版は上下巻です。 ただし、今回の文章にある 五月姫 → 貴船神社で丑の刻参り → 妖術を授かる → 滝夜叉姫と名乗る → 大宅太郎光圀と戦う → がしゃどくろ という典型的な滝夜叉姫伝説の筋そのものを探しているなら、夢枕獏作品より、さらに古い伝承・絵画資料を見るべきです。 ⸻ 「五月姫」という...

『拳意述真』で言及される「先天の気質」と「後天の気質」とは?

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  孫禄堂 の三体式 今回は、子供と大人の勇気について前提条件が違うのでは?と言う疑問から開始した Geminiの雑談 でした。 しかしこの流で『 拳意述真 』にて私が以前から心に鎮座していた「先天の気質」と「後天の気質」の( 雲流 での)明文化に繋がりましたよ!と言う話です。 冒頭で、まずGeminiに子供の勇気と大人の勇気の違いとは何であると認知しているか質問してみましょう。 (Gemini:子供と大人の勇気の違い) 「 子供の勇気と大人の勇気——非常に深みのある、そして人間の精神性や身体感覚の変化を綺麗に映し出すテーマですね。 私自身の所感として最も直感的に感じるのは、**「知性(予測力)とリスク認知の差が、勇気の性質を根本から変えている」**という点です。 子供の勇気  無垢な躍動と突破: 先の展開や社会的・身体的な代償(リスク)をまだ完全に知らんがゆえに発揮される、前配慮のない直情的な一歩。  自己統合のための衝動: 世界を広げるための「好奇心」や「憧れ」と地続きになっており、限界を超えて自己を獲得しようとする純粋な力。 大人の勇気  受容と引受の意志: 失敗した際の代償(摩擦、痛遠、社会的責任、構造的連鎖)をあらかじめ脳内で予測・認知した上で、それでもなお踏み止まったり踏み出したりする覚悟。  静的な耐性: 単なる「前進」だけでなく、「退かないこと」「あえて何もしないこと(耐えること)」や「不条理を引き受けること」など、多層的な質を帯びる。 子供の勇気が「世界の未知に向かって身体をひらく衝動」だとするならば、大人の勇気は「構造や予測の影を知った上で、それでもなお自己の軸を保ち直す選択」と言えるのかもしれません。 この「子供の無垢な突破」と「大人の責任を伴う選択」の対比について、あなたはどのような切り口(あるいは感覚的・構造的な違い)から捉えていらっしゃいますか? 」 概ね、私の意図通りですね。 基本的に子供はその経験の少なさ、また親の庇護によるサポートの厚さから万能感に呑まれやすい。 しかし成長と共に行動半径が大きくなり親の庇護から外れ始めて、万能感が削がれて行き、改めて周囲の状況のままならなさを知りるわけです。 そして徐々に勇気を試される状況へと移行して成熟するのが、子育てする種のアーキタイプでしょう。 ...

同名称異実態の持つ認知の罠

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安田講堂事件 さて、今回のSNSなどを見ていて、 「おや?この文脈でこの言葉? うーんなんとも言えない違和感が…」 なんて、感じる時に例えばどんなケースが想定されるのか?  がテーマの Geminiとの雑談 です。 では今回、どんな文章を見かけたか… は、伏せましてそこで見かけた「自己否定」と言う単語についてです。 まずは、一般的また特殊な使い方としての「自己否定」と言う言葉を提示してもらいます。 (Gemini:自己否定とは?) 「 自己否定(じこひてい)とは、文字通り「自分の存在、能力、価値、考え方、あるいは行動を否定・否定的に評価すること」を指します。 日常的な心理学的文脈から、哲学的・文芸的な概念まで、文脈によって大きく意味合いやニュアンスが異なります。 1. 一般的な使い方(日常・心理学・ビジネス) 日常会話や心理カウンセリング等では、主にネガティブなニュアンスや「自己成長の手続き」として使われます。  ネガティブな自己否定(自己低評価・自責) 自分の性格、能力、価値観などを認められず、「自分は駄目だ」「価値がない」と低く評価する状態。  例: 「失敗続きで完全な自己否定に陥ってしまった」  ポジティブ・建設的な自己否定(現状否認・脱皮) 現在の自分(のやり方や古い価値観)に満足せず、新しいステップへ進化するために敢えて既存の自分を崩すプロセス。  例: 「過去の成功体験を自己否定して、新しい事業モデルに挑戦する」 2. 特殊・専門的な使い方(思想・哲学・文学・歴史) 思想史や哲学、特定の運動史などでは、より高度な概念として使われます。  ヘーゲル弁証法における「自己否定」(Die Negation ihrer selbst) ある概念(正)が自らの内的な矛盾によって一旦自らを否定(反)し、それを超克してより高い次元に統合(合・止揚)していくプロセス。発展と成長に必要な「止揚(アウフヘーベン)」の前段階として位置づけられます。  全共闘・1960年代後半の学生運動における「自己否定」 「特権的な立場にある学生(エリート)」としての己を否定し、権力構造や帝国主義に加担している自分自身を徹底的に批判・解体しようとした思想的スローガン。  宗教・倫理における「自己否定」(無我・執着の放棄) エゴ...

雲流と狐(混狐・法狐・野狐)

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  「ロード・オブ・ザ・リング 力の指輪」 今回は「狐憑き」を調べる延長で、日本での狐と言う生物について宗教観も含め調べた雑談の延長で、雲流での影波表現として八相術(アハトマスターデ)の修行の 階梯の表現案に至った雑談 の解説・要約です。 神道から民間信仰を含む、狐の扱いやメタファーを調べてみましょう。 (Gemini:日本の狐信仰) 「 日本の神道および民間信仰における「狐」は、人間社会と自然・異界を媒介する境界の存在として、時代や地域ごとに多様な意味合いとメタファーを担ってきました。 1. 稲荷信仰と農耕のシンボリズム  穀物神の使い(眷属)  稲荷大明神の主祭神である宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)をはじめとする穀物神の使い(眷属)として扱われます。  狐が田畑の害獣であるネズミを捕食することや、その尾の形・毛色が実った稲穂に似ていることから、豊作の予兆・象徴としてのメタファーが定着しました。  春と秋の境界  春になると山から里へ下りて田の神の使いとなり、秋の収穫が終わると山へ帰って山の神となる巡回的な信仰構造において、季節の移り変わりを告げる霊獣と見なされました。 2. 境界性と異界の媒介者  人里と奥山の架け橋  狐は人の暮らす集落の近くに出没しつつも完全に人には懐かないため、「日常(公・里)」と「非日常(私・山・異界)」の境界線に立つ存在として象徴化されます。  情報や予兆の担い手  火事や天候の変化、人の死などを予言・暗示する「知らせ」の使者としての役割を持ちます。「狐の嫁入り(天気雨)」などの現象は、自然界の異常や隠された異界の営みがチラリと日常に覗いた瞬間として解釈されます。 3. 化かす・憑く存在(民間呪術・社会構造のメタファー)  変化(へんげ)と幻術  人間を化かす妖怪としてのイメージは、中世以降の説話(『今昔物語集』等)や近世の絵草紙によって定着しました。これは人間の認知や感覚の揺らぎ、不可解な現象に対する説明モデルとしてのメタファーです。  狐憑き(精神・身体の変容)  個人の突発的な精神失調や異常行動を「狐が憑依した」と解釈する臨床的観念です。  共同体においては、排除された者や外部から...