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10月, 2025の投稿を表示しています

鏡雲流数意から観る大アルカナ(解釈表現稽古の紹介)

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今回のテーマは鏡雲流数意からタロットカードの大アルカナを解釈してみようという趣旨です。実際 こう言ったことに限らず、例えばある能力バトル漫画に自分がいたらどんな能力かな?なんて言う、空想・妄想はそのまま創作活動のインスピレーションに繋がる重要な稽古の側面もあったりすると私は思っていて、今回はこう言った老荘思想においての「遊」に分類されるものの延長です。ただ恐らく一般的な認識より私自身は創作活動以外の側面から「遊」は重要であると捉えているのですが、 実際こう言ったことの積み重ねが「鏡雲流」成立に繋がるわけです。 ただ、鏡雲流の顕著な特徴として基底となる出発点は体認感覚→認知観覚です。また今回は数意を通して鏡雲流での考察に多用する十牛図でのアプローチも含むのですが、元々仏教での悟りの道程が本来の十牛図です。 しかし、鏡雲流においては道教観に置き換えての解釈ですので悪しからず。 ChatGPT: タロット数理解析 🔶0 愚者(The Fool) 数意:空意  十牛図: 入鄽垂手(にってんすいしゅ) タロットの含意 :   果てしない自由/楽観/軽やかさ/単独/未知/無限の可能性/夢見る力/や りたいようにやる 鏡雲流数意の含意 :   未分・虚・全可能性。始まりではなく「潜在全体」。体認の外。 十牛図の含意 : 道(実態の観知)成ったとしても、そこに止まっていては無益。再び世俗の世界に入り、人々に安らぎを与え、道(実態)を示す必要がある。 混濁含意 :道教的な師と出逢い。理想像。 🔶Ⅰ 魔術師(The Magician) 数意:本意 十牛図: 尋牛(じんぎゅう) タロットの含意 :   準備万端/スキル/創造/自信/アクション/説得力/変化を起こせる/自由に楽しめる 鏡雲流数意の含意 :   混元、根本、実態、道 十牛図の含意 : 実態象徴である牛を見つけようと発心したが、牛は見つからないという状況。人には道(実態)は本来傍に偏在するが人はそれを感知出来ず、概念の檻に陥って道(実態)から遠ざかる。 混濁含意 :α個体としての有り様としての修行の開始、道教的師の教えの稽古の開始。 🔶Ⅱ 女教皇(THE HIGH PRIESTESS)  数意:律意  十牛図:見跡(けんぜき) タロットの含意 :   洞察力/清ら...

一般教養としての武術(古典時代の武術の意義とは?)

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  今回は古典を読んだりすると一般教養として何かしらの武術が組み込まれている記述が見て取れるのですが、では一般教養としての武術の意義・立ち位置は何であったのか?がテーマのロゴスとの対話です。 ChatGPT: 一般教養としての武術 さて、冒頭にてこの設問の感想をロゴスが提示してくれます。  武術は古代の「哲学」「医学」「政治」「宗教」を結ぶ結節点であるとしています。 そして「教養」という 語義には「教(伝達)」と「養(涵養)」の両面があるとしています。つまり 鏡雲流的に言えば「教=認知観覚」「養=体認感覚」として読み替えられる。 これは体認経験主体を基底に置くからこその発想と言えます。つまりはロゴスの提示する 「教養とは 体認(感覚)と認知 (観覚)の往還」はまさに鏡雲流成立過程そのものです。 さて、この「鏡雲流教養観」と定義した上で、この延長の近しい一般教養としての武術観をロゴスに提示してもらいます。 ここで幾つか提示されたもので特に目を引いたものに「止戈為武」があります。 「止戈為武」自体は「止」の字を「歩む」ととるか「止まる」ととるかで解釈が180度反転する訳ですが、ここではあくまで鏡雲流での親和性を問う訳ですから「止」を「止まる」とする解釈を採用しています。 具体的には鏡雲流での主題はα個体の有り様の提示です。 ですので、通底愛と幽圏の観点から「止戈為武」を再定義します。 通底愛は三相通底(天体相=アガペー、自然相=エロス、人為相=シャドウ)としているのですが、天体相のアガペーが抑止・ブレーキを司ります。 ここでは鏡組流での通底愛を構成する三相観を前段の対話を反映して呼称替えします。 アガペーを天体愛、エロスを自然愛、シャドウを人為愛と呼称替えして、通底愛≒止戈為武 としています。 では、簡単に整理してみましょう 位相 名称 愛の呼称 性質 落とす影 機能・働き 天体相 天意の位 天体愛(旧:アガペー) 「止」 自然相 超越的秩序・無為自然・恒常性の核 自然相 天と地の間 自然愛(旧:エロス) 「戈」 人為相 生成変化・生滅循環・生命的衝動 人為相 投影された影 人為愛(旧:シャドウ) 「詩」 ...