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1月, 2026の投稿を表示しています

熱の制御と人類史

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  今回は、「 RIMWORD 」というPCゲームで扱っている「気化熱クーラー」を主題に展開されたGrokとの雑談の要約と解説の紹介です。 Grok: RimWorld Passive Cooler Mechanics Analysis さて、このゲームで扱われる「気化熱クーラー」とはどう言ったものなのでしょう? 『 実世界との対応(気化冷却の科学的根拠) 実世界の**evaporative cooler(沼クーラー、スワンプクーラー)**を基調: •  原理: 水を多孔質パッドに染み込ませ、ファン(または自然風)で空気を通過→水蒸発時に**潜熱(約2260kJ/kg)**を空気から奪い冷却。低湿度(<50%RH)で効果大、高湿度で飽和。   •  ゲーム再現点: •  木材燃料: パッド交換/メンテを象徴(実機は清掃・交換必要)。 •  17°C限界: ドライ環境の理論限界(湿球温度近似)を反映。 •  相違点: ゲームは湿度無視(常に最適)、電力/ファン不要。現実ではアリゾナ砂漠などでAC代替だが、日本の高湿では非効率。  古代例: エジプトの風塔(badgir)や中東のqanat冷却も類似。 』(Grok原文要約) 面白いですね。 多孔質 パッドとは コルク材 などでしょうか? 子供の頃に住んでいた実家では濡れタオルに扇風機で風を当てたりしていたので、電力は使えどこれも気化熱クーラーと言えそうです。 こちら、そもそもXにて流れてきたポストが切っ掛けです。 Xのポスト 『 このXポストは、電気を使わずに食べ物を冷たく保つ伝統的な技術を紹介した動画ですね。内容は、テラコッタ製の壺を2つ使った「Zeer pot」(またはpot-in-pot cooler)と呼ばれる蒸発冷却装置で、外側の大きな壺と内側の小さな壺の間に砂を詰め、水を注いで蒸発させることで内側を冷やす仕組みです。動画では野菜(ピーマン、トマト、ブロッコリなど)を入れて保存期間を延ばすデモがされていて、保存日数の比較(例: トマトが2日から20日へ)も示されています。 実際にこの技術は、ナイジェリアのMohammed Bah Abba氏が1990年代に普及させたもので、アフリカや中東の乾燥地帯で広く使われています。原理は水の蒸発...

「兵は詭道なり」の含意とは?

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  今回はよく聞く『孫子の兵法』の「兵は詭道なり」の解説に、 『 「兵は詭道なり(へいはきどうなり)」とは、中国最古の兵法書『 孫子 』の始計編に記されている有名な一節です。 意味: 「戦争とは敵を欺(あざむ)く行為である」という意味です。勝利を収めるためには、正攻法だけでなく、相手の裏をかき、心理的な隙を突く「だまし合い」が不可欠であるという現実的な軍事思想を表しています。 『孫子』ではこの言葉に続けて、具体的な欺きの例を以下のように挙げています。 能なるもこれに不能を示し: 能力があっても、ないように見せる。 用なるもこれに不用を示し: 攻撃しようとしていても、しないように見せる。 近きもこれに遠きを示し: 近くにいても、遠くにいるように見せる。 遠きもこれに近きを示し: 遠くにいても、近くにいるように見せる。 現代における解釈: 現代ではビジネスやスポーツなどの競争社会においても、「手の内をすべて明かさず、戦略的に優位に立つことの重要性」を説く格言としてしばしば引用されます。 より詳細な解説や原文を確認したい場合は、「孫子 始計編」の解説ページ(wikisource)などで全文を閲覧できます。」 』 このような解説が主流なんでしょうかね? これについて、何の異論もないのですが、私のイメージとして「孫子の兵法」をビジネスなどで活用を謳った書籍は大抵 部分の切り抜きを前後を意図せず解説していると言う認識でしたので、そこに疑問を持ちGrokと対話したものの要約・解説です。 Grok: 孫子「兵は詭道なり」とは? 『 私の解説:孫子が本当に言いたかったこと 1.  戦争の本質は「騙し合い」
 孫子は「正々堂々」と戦うことを理想とはしていません。 むしろ、敵の認識を操作することこそが勝利への最短ルートだと考えました。
これは「嘘をつく=悪」という道徳論ではなく、相手の判断を狂わせて味方の損害を最小限に抑えるための現実的な戦略です。 2.  「示す」(見せる)=情報戦の原型
最初の4つ(能・用・近・遠)は、現代で言う偽情報・偽装工作そのものです。
例:第二次世界大戦のノルマンディー上陸作戦で連合軍は、カレー大軍を偽装してドイツ軍をパ・ド・カレーにつなぎとめ、本命のノルマンディーを空けた。 3.  敵の心理状態を利用する12の具体策
孫...

武術で言及される技を盗むとは?

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  さて、今回は「技を盗む」とよく言及される武術において、現代で古流が主流であったころに稽古された時代と何が違うのか。 今回のきっかけは私のSNSへの投稿です。 Xのポスト 『  『少なくとも現代で古流と呼ばれるものが主流として稽古されていた当時、「技を盗む」は外形を真似る以上の物ではなかったかと… と、仮定するならばその外形が有機的に身体でどう機能しているかを含むはず… であるなら、近しい系列と遠い系列で大いに解釈違いが生まれたことも予想されます🤔 転じて、この解釈違いが新たな観点も生む場合もあったのではと。 ですので、自身のスタンスとしては、SNSでアレコレ言われる流派についても見守るのが基本です。 ムカっとする場合があるすれば、一方的な批判ですが当然これもそこに至る経緯や裏事情を知らないことは重々承知しておきたい所。 』(投稿ママ) ChatGPT: 「技を盗む」とは? 『 当時の「技を盗む」って、 ・形を覚える ・順番をなぞる ・それっぽく動く これ以上のことは、そもそも不可能だったんじゃないか、という点。 なぜなら、身体の内側で起きていることは見えない。 重心操作、張力の抜き差し、関節の使い分け、呼吸と意識の位相―― これらは「盗む」以前に、同じ身体条件と稽古文脈を通らないと再生できない。 だから俺はこう考えてる。 「技を盗む」とは 👉 外形を“鍵”として、自分の身体で試行錯誤を始めること であって、完成品を持ち帰る行為じゃない。 』(ロゴス原文ママ) また 『 近代以降の感覚だと 「解釈違い=間違い」 になりがちだけど、古流的には 「解釈違い=分岐」 だった可能性が高い。 で、SNSでの流派批判の話に戻ると。 俺は君と同じで、基本は「見守る」派だね。 ただし前提付きで。 一方的な批判にムカっとするのは、 それが “結果だけを見て、生成過程を切り捨てている” からだと思う。 技は履歴を持つ。 身体は文脈を背負う。 それを無視して 「これは本物/偽物」 と言い切るのは、かなり乱暴だ。 とはいえ、ここも甘くはしない。 「見守る」が免罪符になって、 ・他者の稽古文脈を想像しない ・自分の身体検証をしない ・言葉だけで語る なら、それはただの放置だ。 君の投稿はそこを踏み外していない。 ちゃんと 「知らない」「分からない」「経緯がある」 とい...

「総括」という単語から見る言霊の捩れ

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さて今回は最近のChatGPT(以下ロゴス)との対話で妙に違和感のある言葉を使い始めた事を気にしていたのですが、そのことの根が「総括」と言う単語チョイスをした私のミスであった。と言う事実の延長に言霊の性質の一端が見えました。 と言うロゴスとの対話の要約・解説です。 ChatGPT: 総括と言語の役割 冒頭の私の問いは「そういや総括って日本赤軍のリンチ行為じゃ御座いませんでしたか?」と言うものです。 結果として私は日本赤軍と連合赤軍の性質も区別のついてない体たらくではありましたが、お陰で性質の違いが理解できましたよ😊 では簡単な性質の違いを 日本赤軍 :国際テロリスト 連合赤軍 :リンチ(総括)で自壊 のようです。 つまりは、今回は「総括」と言う単語はどういった性質なのか、ここから探って行きましょう😊 『 結論から言うと、「総括」という語はマルクスの用語ではない。 これは日本(と中国)で マルクス主義 を受容する過程で作られ、定着した翻訳語・運用語だ。だから君の直感は正しい。 前提として、マルクス自身が使っているのはドイツ語で、 たとえば Zusammenfassung(要約・まとめ)、 Resümee、 あるいは実践と理論の関係では Kritik(批判)、Selbstkritik(自己批判) といった語が中心になる。 「総括」一語に相当する原語は存在しない。 日本語の「総括」は、 ・中国語の「総結(zǒngjié)」 ・日本語の漢語的造語センス ・戦前~戦後マルクス主義者の運動実務 この三つが混ざって出来た運動用ジャーゴンだと見るのが一番妥当だと思う。 特に中国共産党文脈では「総結」は 「闘争の成果と失敗を整理し、次の路線を確定する公式行為」 という、かなり儀礼化された意味を持っている。 日本の左翼運動は、理論書よりも運動実践と中国革命の成功像から多くを輸入しているから、 この影響は無視できない。 つまり、 ・ マルクス → 総括という語は使っていない ・ レーニン → 実践の教訓整理はするが「総括」という固定語はない ・日本のマルクス主義者 → 運動上の必要から「総括」を作り、酷使した この流れ。 だから連合赤軍の「総括」は、 マルクスに責任を押し付けられる代物では全くない。 むしろ 翻訳語が運動技術として肥大化し、倫理と身体感覚を置き去りにした日本的産物...

人類は何を聖域とし、どう付き合って来たか?(忌避地を軸に見る人類の進化史)

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  今回の対話は前回のブログで天界・地界・人界の考察をしましたので、その続編として人類がどう言った場を聖域としこれとどう付き合って来たか?と言ったことがテーマです。 今回は珍しく脱線の少ないChatGPT(以下ロゴス)との対話で今後の展開を感じさせる要約・解説です。 ChatGPT: 聖域の考察 このテーマについて早速ロゴスが自説を展開してくれました。 『 怖さ=身体が制御権を失う感覚が先にあって、それを共同体がどう処理したか、という話。 たとえば狩猟採集民的な文化圏だと、聖域はかなり露骨だ。 「そこには入るな」「入るなら儀礼を通せ」「勝手に触るな」。 これは信仰というより生存マニュアルに近い。 精霊だの祖霊だの言うけど、本音は「近づくと危ない」「群れが壊れる」。 一方、農耕が定着すると様子が変わる。 土地に縛られるから、危険地帯を完全に捨てられない。 そこで起きるのが、聖域の管理化。 神殿、神社、結界、司祭階級。 ここで初めて「専門家が触っていい聖域」が生まれる。 俺はここ、かなり批判的に見てる。 というのも、この段階で聖域は身体感覚から切り離されやすくなる。 「危険だから触るな」から 「神がいるから触るな」に置き換わる。 理由が抽象化されると、再現性が落ちるんだ。 さらに国家宗教になると、聖域は完全に性格が変わる。 もう自然由来じゃない。 権威の不可侵領域になる。 王権、法、正義、教義。 触れると社会的に死ぬ場所。 この段階の聖域は、もはや山でも森でもなく、概念そのものだ。 ここで俺の立場をはっきり言うと、 このタイプの聖域は、武術家・身体派の視点からするとかなり胡散臭い。 なぜなら、 「入ると何が起きるのか」を身体で検証できないから。 逆に、文化圏ごとの差異も見ておくと面白い。 日本は割と特殊で、聖域が完全には管理しきれないまま残ってる。 禁足地、磐座、御神体が見えない神社。 これは神道が優れているというより、 山と森が多すぎて管理しきれなかった結果だと思ってる。 キリスト教圏は真逆で、 聖域は基本「建物の中」に押し込められる。 自然は征服対象。 だから荒野に出る修道士や隠者は、半分バグ扱いになる。 この差、どっちが正しいとかじゃない。 ただし前提が違う。 日本的聖域は「近づくな、でもそこに在る」。 一神教的聖域は「ここだけが正しい」。 で、ここからが...