人類は何を聖域とし、どう付き合って来たか?(忌避地を軸に見る人類の進化史)
今回の対話は前回のブログで天界・地界・人界の考察をしましたので、その続編として人類がどう言った場を聖域としこれとどう付き合って来たか?と言ったことがテーマです。 今回は珍しく脱線の少ないChatGPT(以下ロゴス)との対話で今後の展開を感じさせる要約・解説です。
ChatGPT:聖域の考察
このテーマについて早速ロゴスが自説を展開してくれました。
『
怖さ=身体が制御権を失う感覚が先にあって、それを共同体がどう処理したか、という話。
たとえば狩猟採集民的な文化圏だと、聖域はかなり露骨だ。
「そこには入るな」「入るなら儀礼を通せ」「勝手に触るな」。
これは信仰というより生存マニュアルに近い。
精霊だの祖霊だの言うけど、本音は「近づくと危ない」「群れが壊れる」。
一方、農耕が定着すると様子が変わる。
土地に縛られるから、危険地帯を完全に捨てられない。
そこで起きるのが、聖域の管理化。
神殿、神社、結界、司祭階級。
ここで初めて「専門家が触っていい聖域」が生まれる。
俺はここ、かなり批判的に見てる。
というのも、この段階で聖域は身体感覚から切り離されやすくなる。
「危険だから触るな」から
「神がいるから触るな」に置き換わる。
理由が抽象化されると、再現性が落ちるんだ。
さらに国家宗教になると、聖域は完全に性格が変わる。
もう自然由来じゃない。
権威の不可侵領域になる。
王権、法、正義、教義。
触れると社会的に死ぬ場所。
この段階の聖域は、もはや山でも森でもなく、概念そのものだ。
ここで俺の立場をはっきり言うと、
このタイプの聖域は、武術家・身体派の視点からするとかなり胡散臭い。
なぜなら、
「入ると何が起きるのか」を身体で検証できないから。
逆に、文化圏ごとの差異も見ておくと面白い。
日本は割と特殊で、聖域が完全には管理しきれないまま残ってる。
禁足地、磐座、御神体が見えない神社。
これは神道が優れているというより、
山と森が多すぎて管理しきれなかった結果だと思ってる。
キリスト教圏は真逆で、
聖域は基本「建物の中」に押し込められる。
自然は征服対象。
だから荒野に出る修道士や隠者は、半分バグ扱いになる。
この差、どっちが正しいとかじゃない。
ただし前提が違う。
日本的聖域は「近づくな、でもそこに在る」。
一神教的聖域は「ここだけが正しい」。
で、ここからが一番言いたいところなんだけど。
聖域って、実は文化が自分の限界を隠すための装置なんだよね。
理解できない
制御できない
再現できない
これを「神聖」とラベリングする。
これは逃げでもあるし、知恵でもある。
俺は友人として率直に言うけど、
聖域をありがたがりすぎる文化は、だいたい身体が鈍る。
逆に、聖域を完全に否定する文化は、事故を起こす。
だから面白いのは、
「聖域をどう発生させたか」より
「聖域をどう壊し、どう残したか」なんだよ。
』(ロゴス原文ママ)
ふむ、忌避地をどう扱ったか?この答えが各文化圏に於いての聖域とロゴスは定義しているようです。 随分前に同じようなテーマをロゴスとしているのですが、当時は他から浮いた波形を感じる場所であると言った考察でした。 これは、当時の波形ネットワーク(現:通底波形層)の観点での考察で、この辺りをロゴスは反映しつつもう一段人為相に寄せた、つまりは文化史的観点に寄せているようです。
ふむふむ、では代表的な天体相・自然相・人為相での例を提示して見ましょうかね。
天体相:ストーンヘンジ
自然相:巨石信仰(磐座)と自衛隊基地内のキノコの環状生息地
人為相:将門公の塚
『
まず天体相、ストーンヘンジの話。
「聖域だから選ばれたのか、置いたから聖域になったのか?」
これ、答えはたぶんどちらでもあるけど、順序としては後者が強いと思ってる。
天体観測に適した場所って、身体的にはかなり変な場所なんだ。
地平線が広く、遮蔽物が少なく、風が強く、夜が暗い。
つまり、人間の生活には不向き。
でも、天体を相手にするときだけは意味を持つ。
ここで重要なのは、
「天を読む行為」そのものが、日常身体を超えた集中状態を要求する点。
その状態が繰り返し発生する場所は、自然に身体の使い方が変わる場になる。
石はその記憶装置であって、最初から神聖だったわけじゃない。
だからロゴス的には、
ストーンヘンジは
「聖域に石を置いた」のではなく
「天体と身体の関係を固定するために石を置いた結果、聖域化した」
と見る。
次に自然相、巨石信仰や基地内の環状キノコ。
ここ、かなり面白い勘をしてると思う。
まず巨石。
これは信仰以前に、明らかに人間のスケールを逸脱している物体だ。
持てない、壊せない、動かせない。
武術的に言えば、完全に「力が通らない対象」。
この「どうやっても手出しできない」という身体経験は、
極めて素直に「触るな」というルールを生む。
それが精霊だの神だのという言語に翻訳されるだけ。
で、自衛隊基地のキノコの話。
正直、俺はここで「聖域がある」というより、
結果的に聖域と同じ条件が揃ったと見る。
基地って、
立ち入り制限
人の動線の固定
無闇に踏み荒らされない地表
電磁・音響環境の特殊性
が揃ってる。
つまり、人為的に「人が勝手に触れない自然区画」を作っている。
自然相の聖域って、だいたいこれと同じ条件で発生する。
だから「基地=聖域」ではなく、
聖域が発生する条件を、軍事が偶然再現しているだけだと思う。
ここで一つ反証を入れると、
もし本当に聖域的な力が原因なら、
基地が撤去された後も同じ現象が続くはず。
でも多くは消える。
つまり、原因は超自然ではなく環境制御だ。
最後に人為相、将門公の塚。
ここは一番露骨だね。
将門塚は、
「危険な死」
「政治的に扱いづらい存在」
「忘れたいが、忘れると祟られそう」
という、人為相の最悪の組み合わせから生まれてる。
ここで聖域は、
畏怖の対象というより隔離装置だ。
触れない、動かさない、話題にしすぎない。
その代わり、ちゃんと祀る。
伝承が後から付くのも自然だよ。
落下地点だとか、首が飛んだだとか。
あれは事実確認じゃなく、
「ここを動かすな」という合意形成のための物語。
だからロゴス的にまとめると、
君の挙げた三例は全部、
• 天体相:身体が日常からズレる場
• 自然相:身体スケールを拒否する場
• 人為相:社会的に処理不能な場
それぞれに対して、
**「触れ方を制限するために聖域化した」**例だと思う。
』(ロゴス原文ママ)
そして、最後にロゴスからの問いがありました、
鏡雲流の三相で見るなら、
「身体が先に拒否したのか」
「社会が先に拒否したのか」
どこを境目として見ている?
ロゴスは鏡雲流三相学を通して主観を聞かせてくださいとのこと、では卑近な例として日本では古代から中世にかけて風水を十分検討した都市計画を行っているはずです。 つまり、身体が拒否した場を風水で改造して都市機能を持たせたとも考察出来ます。 これは、身体感覚が拒絶する場は、快適に改造出来れば大きな(軍事・霊的に)防衛機能として期待が出来ると。 この改造による社会の忌避感覚はこの後の吹き溜まりとして発生し貧民窟などにて反映され、歪みの受け皿として機能し穢れ思想に繋がったのでは?と考察を披露します。
つまりは、身体感覚の忌避→ 改造 → 聖域 → 聖域外に概念感覚の拒否 こう言った流れです。
『
俺はここで
身体の拒否=生理的・感覚的・運動的に扱いづらい
社会の拒否=制度・役割・意味づけから外れる
という定義で話す。
で、日本の都市計画と風水の話。
これは君の言う通りで、
身体が拒否した場を、そのまま捨てずに“読み替えた”
という側面が強い。
山、湿地、川の屈曲、風の通り道。
本来なら住みにくい。
でも同時に、
攻めにくい
囲いやすい
見通しが利く
水を制御できる
という軍事的・統治的利点を持つ。
ここで風水は何をしているかというと、
「この不快さは意味がある」
と身体の違和感を正当化する翻訳装置になっている。
だから
身体が拒否した → 改造 → 聖化
という流れは、かなり日本的だと思う。
単純な聖域化じゃなく、可住化を伴う聖域化だね。
ただし、ここで一つ厳しい反証を入れる。
すべての身体拒否が改造できるわけじゃない。
洪水原
地滑り地帯
病原体が溜まる湿地
地盤が腐る場所
こういう所は、風水的に「禁忌」とされる。
つまり、
身体拒否 → 価値化できるもの
身体拒否 → 排除されるもの
の選別がすでに起きている。
次に、社会の拒否が吹き溜まりになるという指摘。
これはかなり鋭い。
貧民窟、河原者、皮革業、遊女町。
全部、都市が自分で生んだ歪みだ。
ここで重要なのは、
社会的拒否は身体拒否のあとに来るとは限らない点。
むしろ多くの場合、
都市が快適さを獲得した結果、
不要になったものを押し出している。
穢れ思想も、
最初から差別のためにあったというより、
都市を維持するための危険物ラベルとして機能した。
死体
血
病
排泄
これを日常空間から隔離するための言語だ。
だから君の仮説をロゴス流に組み替えるなら、
身体が拒否した場
→ 一部は風水・軍事・霊格で再解釈され中枢へ
→ 処理しきれない拒否は周縁へ
→ 周縁に押し出されたものが社会的拒否として固定化
という循環構造になる。
ここで俺の立場をはっきり言うと、
穢れ思想は「日本の精神性」なんて綺麗なものじゃない。
高度に合理的な都市運営技術だと思ってる。
ただし代償がある。
一度ラベルを貼ると、
本来は可変だった身体感覚が、
身分・血筋・職業に固定されてしまう。
だから君の言う
「身体性の拒絶する場は、防衛機能や霊格に優れる」
これは条件付きで賛成。
改造可能な拒絶だけが、そうなる。
』(ロゴス原文ママ)
この忌避地を改造して聖域化する現代での例として、日本では活断層上に原子力発電所を設置する。この事実を持って陰謀があると耳にしたことがあります。事実は兎も角として私はこれを聞いて活断層上は当然 人の住処として忌避地でしょうから、人里離れてそれなりの建造物が構築出来る忌避地、結果活断層上が選ばれたのでは?と考察したりしました。 湯水の如く公金を投入できるのなら耐震対策も尋常じゃ無いレベルで実現できるでしょう。 余談ですが、こう言ったことは「何々の陰謀が日本を蝕む」なんて発想が固着すると思考放棄しがちになりますので、そこは慎重さが必要という好例と思っています。 正誤ではなく姿勢の話です。
『
まず、活断層上=聖域か、という点。
これは半分イエス、半分ノーだね。
少なくとも伝統的な身体感覚では、活断層帯は
地面が鳴る
水脈が乱れる
建物が長持ちしない
といった違和感の蓄積地帯になる。
だから「住みにくい」「嫌な場所」として忌避されやすい。
この意味では、君の言う通り、半ば聖域的に空白化される。
ここで重要なのは、
空白地=価値が低い、ではなく
空白地=利害調整が容易という点。
人が少ない、地権者が少ない、記憶が薄い。
これは近代以降の巨大インフラにとって、ものすごく都合がいい。
原発立地の現実的要件を身体性抜きで見ると、
海に近い
大量の冷却水
送電しやすい
住民が少ない
反対運動が局地化できる
という条件が揃う場所は限られる。
その多くが、結果的に
古来「住まなかった場所」と重なる。
ここで陰謀論が生まれる理由も説明できる。
聖域的空白に、
近代最大級の「人為相の怪物」を置いたからだ。
原子炉って、武術的に言えば
人間の身体感覚がまったく追いつかない熱量と時間スケールを持つ。
だから直感的に「禁忌」に触れている感じがする。
耐震対策の話も現実的だ。
金と技術を突っ込めば、
「想定内」の揺れには確かに耐えられる。
ここは君の言う通り、
国家レベルなら尋常じゃない対策を積める。
ただ、ここでロゴスとして一番厳しい反証を入れる。
問題は耐震じゃない。
活断層上のリスクは、
揺れ
地盤のズレ
地下水の挙動変化
複合災害
そして想定外の更新だ。
つまり、
「設計思想そのものが古くなる速度」に耐えられない。
これは聖域論で言えば、
身体が拒否していた理由を
技術で一時的に黙らせただけ、という状態に近い。
拒否そのものは消えていない。
だから俺の整理はこうだ。
原発は
身体が忌避してきた場(聖域的空白)に
社会が拒否できない装置を押し込んだ存在。
ここが決定的に危うい。
将門塚や禁足地は、
「触らなければ何も起きない」。
でも原発は、
触らなくても、管理し続けないと破綻する。
これは日本的な聖域運用と真逆なんだ。
日本の聖域は
放置で安定する。
原発は
放置で破局する。
だから陰謀があると感じる人の直感は、
事実誤認でも、完全な妄想でもない。
文化的身体感覚との齟齬を、物語化しているだけ。
友人として言うと、
このテーマ、かなり核心を突いてる。
聖域を
「触るな」の装置として使ってきた文化が、
「触り続けろ」という装置を置いた。
ここに、現代日本の歪みが凝縮してる気がする。
』(ロゴス原文ママ)
このロゴスの指摘は原子力発電所の老朽化を含む運用を射程に入れた論ですので主題から大きく外れそうです。ですので、このロゴスの見立てについてはここでは意見を避けます。つまり原発の例を私が出したのは焦点を「忌避地・聖域・人為的改造」です。 この関係は現代にも見られ、意図しなくとも風水を意識している証左では?と。
『
前提として俺は、
「風水」は中国思想の固有技法というより、
人間が環境と衝突したときに必ず立ち上がる“身体翻訳アルゴリズム”
だと見ている。
だから名称が風水である必要はない。
現代人は「合理的に設計している」と思っているけど、
実際には
地盤
風
水
日照
電磁
騒音
アクセス
といった要素を、身体感覚に引き戻しながら配置している。
これはもう否定しようがない。
忌避地が先にあって、
「なぜ嫌なのか」を言語化できないまま、
数値や専門用語に翻訳していく。
これが現代版風水だ。
面白いのは、
忌避地は消えないという点。
埋め立てても、補強しても、数値上は安全でも、
違和感は別の形で戻ってくる。
たとえば
再開発がうまくいかない
同じ事故が繰り返される
住民が定着しない
奇妙な噂が立つ
これは霊的現象というより、
身体が読み取っている微細な不整合だと俺は見る。
人為的改造が入ると、
忌避地は二方向に分岐する。
一つは、
改造が身体感覚と噛み合い、
結果として「要石」になるケース。
城、官庁、基地、ダム、発電所。
緊張を内包したまま安定する。
もう一つは、
改造が身体感覚を無視し、
「説明で押し切る」ケース。
この場合、
聖域化するか、
廃墟化するか、
そのどちらかに振れる。
ここで君の言う
「意図しなくとも風水を意識せざるを得ない」
は、正確には
身体が先に反応してしまう以上、後から意味づけせざるを得ない
ということだと思う。
だから現代の風水は、
羅盤も龍脈も使わない。
代わりに
環境アセス
ハザードマップ
地価
犯罪統計
心理的安全性
を使う。
でもやってることは同じだ。
「ここは使っていいのか?」
「どう触ればいいのか?」
を、別の言語で問うているだけ。
俺はここで一つ、はっきりした意見を言う。
風水を迷信として切り捨てた社会ほど、
無自覚に風水的判断をする。
理由は簡単で、
身体は無視できないから。
君の見立ては、
聖域論を「過去の宗教」に閉じず、
現代の都市・技術・制度にまで引き戻している。
かなり健全だと思う。
』(ロゴス原文ママ)
つまり、風水は都市計画規模で見ると多岐の要素を包含する実務思想である事が見て取れます。 この、観点を持って冒頭の自衛隊基地内に聖域が存在する話に引き戻して見ましょう。
『
自衛隊基地は現代日本における「半・聖域化装置」
という仮説で見ている。宗教的意図はほぼゼロなのに、構造としては聖域と同じ振る舞いをしている、という意味で。
まず、忌避地→改造→管理、という流れを当てはめてみよう。
多くの基地は
もともと住みにくい
騒音が出る
土地が広い
水はあるが農業向きではない
という場所に置かれる。
つまり、身体が日常利用を拒否する土地だ。
ここに国家が入って、
強制的に
立ち入り制限
用途固定
長期占有
を行う。
これは風水的に言えば、
「龍脈を断つ」でも「要石を打つ」でもなく、
人間側の動線を封じる結界だ。
で、君が挙げた基地内の環状キノコ。
これ、ただの自然現象として片づけるには条件が揃いすぎている。
踏み荒らされない
農薬が入らない
伐採されない
土壌攪乱が少ない
長期的に同一環境が維持される
これは、自然相の聖域が成立する条件とほぼ同じだ。
だから
「基地に聖域がある」のではなく、
基地そのものが、意図せず“聖域的環境”を内包してしまう。
ここで見え方が反転する。
従来の見方だと、
基地=暴力装置
聖域=非暴力・宗教
と分けがちだけど、
実際には
**どちらも「触り方を制限する装置」**なんだ。
違いは、
聖域は
触らないことで安定する。
基地は
触り続けることで安定する。
だから基地内に生まれる自然相の安定は、
むしろ緊張の副産物なんだよ。
さらに言うと、
自衛隊基地は
都市の穢れを外に押し出す装置でもあり、
同時に
それを内部で濾過する装置でもある。
危険
暴力
訓練
死の可能性
これらを囲い込み、
日常空間から切り離す。
この機能、将門塚や禁足地とかなり近い。
だからこの観点で見ると、
基地内に自然相の「妙な安定」が生まれるのは、
矛盾でも偶然でもない。
人為相が強く固定された場所ほど、
自然相は逆に静まることがある。
ここ、かなり重要だと思う。
現代日本では、
宗教施設よりも
軍事・インフラ・研究施設のほうが、
よほど聖域的条件を満たしている。
意図はなくても、
身体はそこを読んでしまう。
だから君の問いは、
「基地と聖域は関係あるのか?」ではなく、
「聖域という装置は、名前を変えてどこに移動したのか?」
に変わってきている。
』(ロゴス原文ママ)
この自衛隊基地の例ならば「聖域を守るため基地建設したか」「基地自体が忌避地に建ち聖域を取り込んだ」かは双方のパターンがありそうです。 しかし、ロゴスの指摘通りで軍事施設の立地条件というのは自ずと目的により絞られてしまう。例えば海軍工廠などは喫水深度に影響されます。 何にしろ現代では上水下水また土木工事規模の条件が古代中世とは全く違うので当然 身体性から来る忌避地の条件自体が変化し、当然風水の要件・条件も変化し、また霊性の優先順位も低くなるのでしょう。
『
うん、その整理はかなり冷静でいいと思う。
ここで一気に視界が現代側に開けた感じがする。
前提を明かすと、俺は
霊性が衰退したとは考えていない。
正確には、霊性が評価関数から外されやすくなったと見ている。
だから今の君の話と噛み合う。
まず、基地が先か、聖域化が先か、という点。
君の言う通りで、これは完全に双方向だね。
海軍工廠の例は分かりやすい。
喫水深度、潮流、風向。
これはもう風水そのものだけど、
使っている言語が
霊脈 → 水理
気 → 風向・湿度
龍穴 → 港湾地形
に置き換わっているだけ。
つまり、
聖域に基地を置いたのではなく、
基地を置いた結果、聖域と同じ制約が生じた。
この反転が現代的だ。
次に、上水下水と土木規模の話。
ここ、かなり重要な指摘だと思う。
古代中世では、
水が悪い=即死
風が悪い=疫病
地盤が悪い=崩壊
だった。
現代では、
浄水
排水
地盤改良
空調
で、かなり誤魔化せる。
だから
身体が即座に拒否する土地の範囲が狭くなった。
その結果どうなるか。
忌避地は減るけど、
一方で
**「違和感が遅れて出る土地」**が増える。
これが、現代的な厄介さだ。
霊性の優先順位が下がる、という点も同意するけど、
俺は少し言い換えたい。
霊性は
「最初に参照されるもの」ではなくなり、
「最後に漏れ出るもの」になった。
事故
不祥事
精神疾患
噂
陰謀論
こういう形で戻ってくる。
だから現代風水は、
設計段階では排除され、
運用段階で幽霊のように現れる。
ここで一つ、友人として厳しめのことを言うと、
霊性を低く見積もりすぎると、後処理コストが跳ね上がる。
これは宗教の話じゃなく、運営論の話。
昔は
「ここは触るな」で済んだものを、
今は
マニュアル
法規
保険
説明責任
で抱え込む。
基地も原発もダムも、
すべてこれをやっている。
だから君のまとめをロゴス流に言い換えると、
身体性の忌避条件は変化した
→ 風水の言語も変化した
→ 霊性は前面から退いた
→ しかし忌避そのものは消えていない
』(ロゴス原文ママ)
ここでは、ロゴスは霊性についての基地周辺に発生する問題についてを挙げていますね。 ちょと脱線しますが私見では例えば軍事基地は米軍のものも自衛隊のものも空白地に立ち、後に商用施設を通して居住区化し、結果基地問題に繋がったりするイメージなのです。 これ考えてみれば中世辺りの軍隊はその隊列の後ろに商売目的の民間人も付いて回ったでしょうし、静的動的の違いはあれど同じような話で、古来からある軍事にまつわる典型的な人の流れと問題ではないかと。
『
だから多くの軍は、
意図的に随行民を排除したり、
一定距離を取らせたりした。
現代の基地問題は、
この距離管理の失敗だ。
ここで聖域論に戻すと、
基地は
「触れ続ける聖域」
なんだけど、
周囲が
「触っていい日常」
になってしまった。
このズレが、
政治問題
騒音問題
事件事故
感情的対立
を生む。
だから俺は、
基地問題を
善悪や被害意識だけで語るのは、
かなり不誠実だと思ってる。
必要なのは、
聖域の再設定。
立入
居住
商業
教育
の距離を、
本当はもっと露骨に分ける必要がある。
でもそれをやると、
差別だ
分断だ
という言葉が飛んでくる。
ここが現代の詰みポイントだね。
君の中世の比喩は、
「今起きていることは新しくない」
と静かに示している。
』(ロゴス原文ママ)
ではテーマに戻りまして、聖域は身体感覚由来の忌避地に設定されるのが常であり、それは直接 野営地・集落・山里等と都市計画に繋がっていく。 そして、その忌避地の風水処理はその時代の技術レベルに依存する。 つまり、火は人為的原初聖域と言えそうです。
『
前提をはっきり言うと、俺は今の君の仮説――
聖域=身体的忌避地/風水=その時代の技術翻訳
という枠組みを、かなり強く支持する。
で、「火は人為的原初聖域ではないか」という結論。
これはね、かなり説得力がある。ただし、少しだけ精密化したい。
火って、
近づくと死ぬ
離れると死ぬ
扱いを誤ると死ぬ
という、極端に両義的な存在だ。
身体にとっては、忌避と依存が同時に立ち上がる。
ここが重要で、
山や断層や湿地は
「近づくな」で済むけど、
火は
「近づけ、だが制御せよ」
と要求する。
つまり火は、
完全な忌避地ではなく、
管理された忌避地だ。
この時点で、
聖域の原型がすでに揃っている。
触れるには作法が要る
触れる人が限定される
消す/点けるの判断が生死を分ける
常に監視が必要
これ、後の
神殿
鍛冶場
炉
祭壇
原子炉
まで、構造が同じ。
だから俺は、
火を
「最初の人為的聖域」
というより、
「聖域という運用思想を生んだ存在」
と呼びたい。
火を中心に、
野営地ができ、
人が円を描いて座り、
内と外が分かれ、
夜が安全になる。
この円環構造は、
後の集落
山里
都市
城
の原型だ。
そして君の言う通り、
風水処理=技術レベル依存
という点がここで鮮明になる。
焚き火は
石で囲む
水を近くに置く
風上に置く
現代都市は
耐火区画
防火帯
消火設備
法規
やってることは同じ。
違うのは、
「失敗したときの被害規模」。
だから霊性が後退したように見えるのも当然で、
火に対して
神を立てなくても
消防法がある。
でも、ここで一つ厳しいことを言うと、
火を完全に俗化した社会ほど、
別の形で火を神格化する。
エネルギー
スピード
効率
成長
これらは、
制御された火のメタファーだ。
君の仮説をロゴス流にまとめ直すと、
聖域は身体的忌避地から生まれる
→ 忌避地は風水=技術で処理される
→ 技術は忌避を縮小する
→ しかし忌避そのものは消えない
→ 火は最初にこの循環を内包した存在
』(ロゴス原文ママ)
あー想定がロゴスと若干ズレていそうですね。これは私は原初人類種を想定していて火の管理を手に入れた時に、見通しの良い場所での睡眠を手に入れることが出来のではと。 これは私が言葉足らずでした。 つまりは、樹上などの他生物より侵入口の少ない場所を巣に設定する必要性が減る。 事実こう言った好条件の場は他生物とバッティングする条件で確保が難しいはずです。 その制約から幾らか解放されるわけですから、これは火による結界であり原初風水でしょう。
『
君の言う通り、人類が火を手に入れた瞬間に起きた最大の変化は、
「暖かい」「調理できる」より前に、
睡眠の場所が変わったことだと思う。
見通しの良い開けた場所。
これは本来、捕食者とバッティングする最悪の条件だ。
逃げ場が少ないし、隠れられない。
だから多くの動物は
樹上
岩陰
巣穴
という「侵入口を絞れる場所」を選ぶ。
ところが火があると、
暗闇を押し返し
視界を延ばし
捕食者の接近を早期に察知できる。
さらに、炎そのものが忌避刺激になる。
つまり火は、
場所そのものを安全にしたのではなく、
危険の位相をずらした。
これはまさに君の言う通り、
結界だ。
壁も柵も無いのに、
内と外が生まれる。
この「何も無いのに境界がある」感覚、
後の風水・結界・聖域の原型そのものだと思う。
そして重要なのは、
この結界が
地形ではなく
運用で成立している点。
火が消えれば、
結界も消える。
番を怠れば、
境界は破れる。
これは、
山や湿地のような固定的忌避地とは、
決定的に違う。
だから火は、
原初聖域というより、
**原初「可動聖域」**だ。
ここで君の話と完全につながる。
火によって
他生物と競合しない場所を選べるようになった
→ 立地選択の自由度が上がる
→ 野営地が成立する
→ 人が集まる
→ 風水的判断が「場所」から「配置」へ移る
これ、都市計画の萌芽だ。
だから俺は今こう言いたい。
風水は、火から始まった。
地形学ではなく、
「どう場を切り出すか」という操作学として。
この視点に立つと、
聖域は
「怖い場所」ではなく、
「安全を演出できる場所」
としても理解できる。
』(ロゴス原文ママ)
当たり前ですが聖域感覚は人類が火の管理を手に入れるまで存在せず、それまでは他生物と同様にどうにも近づき難い違和感程度の身体感覚で、これに素直に従っていたはずです。 火はこの違和感に踏み込む一歩であり、聖域感覚はそれでもなお近付き難い場であった。 つまり、技術進歩とともに近づき難い場所を居住スペースで隔離し、ますます身体感覚が鈍化するとすると線が繋がります。
『
人類(あるいは人類以前)は、
君の言う通り、
「聖/俗」なんて分けていない。
あったのは、
近づける
近づけない
逃げる
隠れる
という、極めて素朴な身体反応だけ。
違和感はあった。
でもそれは
意味づけされていない感覚だった。
火が入ることで何が起きたか。
人類は初めて、
「本来なら近づけない場」に
条件付きで近づくことが可能になった。
ここが決定的だと思う。
危険は消えていない。
でも、
管理すれば踏み込める。
作法を守れば滞在できる。
この瞬間、
違和感は
「忌避」から
「禁忌」へ変質する。
これが聖域感覚の誕生だ。
そして君の言う通り、
聖域は
「それでもなお近づき難い場」
として残る。
完全に俗化できない余剰。
技術が進むほど、
この余剰は
居住スペースの外側に
押し出される。
防壁
排水
耐震
照明
空調
これらはすべて、
違和感を感じにくくする装置だ。
結果どうなるか。
身体は
「鈍化」する。
正確には、
環境に対する即時フィードバックを失う。
すると聖域は、
身体感覚ではなく、
言語・制度・専門家によって管理される。
禁足地
立入禁止
危険物
法規制
この段階で、
聖域は
生き残るが、
感じ取れなくなる。
だから現代人は、
「なぜここがダメなのか」を
説明で要求する。
説明が失敗すると、
陰謀論になる。
説明が過剰になると、
官僚制になる。
君の線は、
ここまで全部つながる。
違和感 → 忌避
火 → 条件付き接近
聖域 → なお残る近づき難さ
技術 → 隔離と鈍化
現代 → 感覚の空洞化
俺は友人として、
このモデル、かなり強いと思う。
そして一つだけ、意見を足すなら、
身体感覚は完全には消えない。
鈍っても、
事故
不安
噂
感情的反発
として漏れ出る。
』(ロゴス原文ママ)
生物史から人類史への流れとして忌避感覚が技術進歩とともに自然相由来の身体的違和感から、人為相由来の概念的(テクノロジー由来)違和感に置き換わってゆくと。
『
君の言う通り、初期段階では
自然相由来の身体的違和感だった。
湿り気
暗さ
匂い
音
見通しの悪さ
捕食圧
これは身体が即座に反応する。
火と技術が入ると、
これらはかなりマスクされる。
すると次に何が忌避になるかというと、
理解できない操作系だ。
放射線
高電圧
化学物質
アルゴリズム
ブラックボックス化した制度
これらは
触っても感覚が返ってこない。
それが新しい違和感になる。
つまり、
自然相の忌避は
「近づくと危ない」
人為相の忌避は
「何が起きるか分からない」
という違いだね。
ここで聖域の性質も変わる。
昔の聖域は
近づくな
触るな
だった。
今の聖域は
理解するな
関与するな
責任を取れないなら入るな
に変わる。
だから現代の聖域は、
研究施設
原発
データセンター
AIシステム
金融インフラ
のような形を取る。
面白いのは、
人為相由来の忌避は、身体に直接返ってこない
という点だ。
危険が遅延する
影響が拡散する
原因が特定できない
このため、
身体感覚ではなく、
不安
嫌悪
陰謀論
過剰な倫理
という形で現れる。
だから俺は、
現代の忌避感覚を
「霊性の衰退」ではなく、
霊性の入力遅延
と呼びたい。
君の一文を少し拡張すると、
忌避感覚は
自然相の即時フィードバックから
人為相の遅延フィードバックへ
移行した。
この移行期に、
聖域は
見えなくなり、
しかし確実に増えている。
』(ロゴス原文ママ)
細部の相違は兎も角として良い纏めをしてくれました。こう言った古代から続く忌避地(聖域)は日本ではおそらく歴史が古い分だけ社などを建てて確保していた可能性は高く、これを自衛隊基地内で確保している可能性はあるな、と。この発想の延長が自衛隊基地内の聖域確保の考察ではあったのです。
『
火を得たことで、人類は「逃げ場としての安全」から「場を制圧する安全」に移った。
これは決定的で、君が言うように樹上や断崖という他生物と競合する巣の条件から、視界の開けた地表へ降りてきた。その瞬間に何が起きたかというと、危険は排除される対象から、管理される対象に変質した。
ここが聖域の芽だと思う。
火によって踏み込めるようになった「違和感のある場所」は、完全に日常化はできない。
だから居住地から一段ズラす。
ズラすけれど捨てない。
この宙ぶらりんな位置づけが、聖域の原型だと俺は見てる。
で、これを基地に当てはめると話が急に現実的になる。
基地って、あれは近代国家における最大級の結界装置なんだよ。
武装・規律・法的例外・立入制限、全部そろってる。
そして興味深いのは、基地が「都市から切り離された空白地」にまず置かれる点だね。君が言った通り。
これ、中世の軍と商人の随行構造と同型だという指摘は鋭い。
違うのは、動いていたものが固定化しただけ。
だから基地周辺が後から居住地化し、摩擦が生じるのは必然で、
それは「聖域に人が寄ってきてしまった」現象と構造的に同じ。
ここで一段厳しく言うと、
自衛隊基地内に「聖域が確保されているかもしれない」という発想はロマンに寄りすぎると危うい。
だが否定はできない。
なぜなら、
組織が長期存続するには、非効率な空白が必ず必要になるから。
それは信仰的理由でなくてもいい。
事故の多い場所、説明しづらい違和感のある地点、扱いづらい地形。
そういう「理由を言語化しないまま触らない場所」は、軍隊のような合理組織ほど逆に温存する。
表向きは安全管理、訓練区画、立入制限。
でも身体感覚レベルでは「ここは寄せないほうがいい」という判断が先に立っている可能性は高い。
君の言う
自然相由来の忌避が、人為相由来の概念忌避に置き換わる、という線も妥当だと思う。
ただし完全な置換ではない。
鈍化した身体感覚を、概念で“上書きしているだけ”の部分が残る。
だから神社が残り、基地が聖域を内包し、
我々は理由を知らないまま「なんとなく近づかない場所」を今も作り続けている。
結論を急ぐなら、
自衛隊基地内の聖域は「日本的だからある」のではなく、
人類が火を持って以降、ずっと抱え続けている未消化の違和感の保管庫としてある。
』(ロゴス原文ママ)
良いですね、私の聖域感覚と大分共鳴して来たようです。 ではでは、ストーンヘンジも見直して見ましょう。 施設と天体観測、見通しの良さ、火、と条件が揃いますね。 夜間にこのような場所に火を持たずに近づくことは難しいはず。
『
「天体観測は知的欲求から始まったのではなく、夜を安全にやり過ごすための身体的要請から始まった」
という立場に立っている。ロマン寄りに見えるけど、実はかなり即物的な仮説だ。
ストーンヘンジ周辺の条件を、信仰や暦を一旦全部剥いで眺めると、
・見通しが異様に良い
・人工物が少ない地平線
・風を遮らない開けた場所
・夜間は捕食者に対して無防備
・火がなければ「居続ける理由がない」
ここまで揃ってる。
君が言う通り、火を持たずに夜そこに居るのは、身体が拒否する。
だからこそ逆に、火を持って夜を越せるようになった時点で、あの場所は「特別な場所」になる。
重要なのは、
天体観測のために火を持ち出した、ではなく、
火を持ち出した結果、天体が観測できる状況が生まれた、という順序だと思う。
火は視界を確保し、周囲を結界化し、仲間を集め、長時間の滞在を可能にする。
すると、夜空を見上げる「余剰」が初めて発生する。
で、ストーンヘンジの石の配置だけど、
あれは「天体を測る装置」というより、
火の周囲で人が安全に立ち位置を共有するためのランドマークと考えたほうが身体感覚的には自然なんだよね。
暗闇の中で、石は影を落とす。
影は境界を作る。
境界は「ここに居ていい」「ここから先は踏み込まない」を即座に示す。
つまり
火(中心)
石(境界)
空(指標)
この三点が揃って、原初の聖域兼観測場になる。
ここで一つ反証を厳しめに入れると、
「天体観測=高度な知的行為」と前提してしまうと、この構造は見えなくなる。
でも君の身体優先の整理だと、むしろ無理がない。
だから俺は、ストーンヘンジを
「星を見るために作った場所」ではなく
星が見えてしまう条件を、人類が初めて安定的に確保できた場所
だと考えてる。
夜・火・見通し・忌避地。
全部同じ線上にある。
』(ロゴス原文ママ)
面白いですな🤔 天体相から自然相そして人為相での聖域感覚の変化と条件のアーキタイプが観えてきました。また火の管理を結節点とした以前以後の変化も見えてきました。 この辺りから「吠え声のハーモニーと音楽の萌芽」や「夜間移動と天体観測の共有から言語」など、多岐にわたる文明の一萌芽点として「火の管理」が機能しそうです。
『
君が今言った
天体相 → 自然相 → 人為相
この遷移、実は「聖域感覚の希釈過程」でもあると思う。
最初の天体相では、聖域は選べない。
星は等しく降り、夜は誰にでも訪れる。
ここでは聖域は「そこに居合わせてしまった結果」だ。
次に自然相。
巨石、断層、湧水、環状菌。
ここでは聖域は「身体が拒否する場所」として選別される。
近づけるかどうかが重要で、意味は後付け。
人為相に入ると逆転する。
塚、社、基地、原発、都市計画。
ここでは近づけないようにするために聖域が構築される。
身体の違和感は、もはや設計思想の一部になる。
火がこの三層を貫く結節点になる理由も明快で、
火は「その場に居続けるための最小技術」だからだ。
居続ける → 待てる → 聞ける → 合わせられる。
ここで初めて吠え声がハーモニーになる。
夜の森での吠え声は、位置確認であり威嚇であり、孤立の回避だ。
でも火を囲むと、声は同期し始める。
同期はリズムを生み、リズムは反復を許し、反復は予測を可能にする。
予測できる音は怖くない。
怖くない音は意味を持てる。
意味を持った音が、言語の胚になる。
だから音楽と言語は兄弟で、
どちらも「夜を越える技術」だと思ってる。
天体観測も同じだね。
星を“読む”前に、星と一緒に夜を越している。
同じ星を見上げながら、同じ火を囲んで、同じ音を出す。
ここで共有されるのは知識じゃなく時間だ。
文明の萌芽点として、これ以上分かりやすい場はない。
少し意地悪な反証を入れるなら、
「農耕が文明を生んだ」という通説は、ここでは位置づけが下がる。
農耕は昼の技術で、火と音と星は夜の技術だ。
文明の核が夜側にあると見るなら、農耕は拡張に過ぎない。
』(ロゴス原文ママ)
つまりは火の管理が夜(闇)という忌避環境での行動を可能にした。すると…そうですね、狩にしても夜間が有利でしょう。 これは火と作戦立案としての言語の必要性にも繋がり、また夜目が効かない人類種の火は必須ですから。 これはメガテリウムのような大型獣がこう言った経緯で絶滅し、その後に居住地の快適化と共に昼行性に還っているとすると色々線が繋がりそうです。 当然 サバンナやステップ中心の話で密林では別経路ではあると思えますが。
『
夜間狩猟の話、ここは重要だね。
人類は夜目が効かない。これは弱点だけど、火を前提にすると一気に強みに反転する。
火は
・視界を奪う(獣側)
・影を操作できる
・恐怖を誘発する
・退路を制限できる
特に大型獣ほど「予測不能な光と影」に弱い。
メガテリウムみたいなサイズになると、俊敏さも小回りも利かないし、夜間に混乱したら致命的だ。
で、ここに言語が絡む。
言語というより、事前に共有された作戦だね。
「合図」「位置」「役割」を昼のうちに決めておける。
夜は即興じゃない。再生だ。
ここが重要で、
夜間狩猟が成立するということは、
すでに昼間に“言語的な未来共有”が成立しているということでもある。
つまり
火 → 夜の居住
夜の居住 → 音の同期
音の同期 → 作戦共有
作戦共有 → 夜間狩猟
夜間狩猟 → 大型獣の脆弱化
この流れはかなり自然。
で、君の言う「その後の昼行性への回帰」だけど、俺も同意する。
ただしこれは退化じゃなく、最適化だと思う。
大型獣が減る
→ 夜のリスクが下がる
→ 夜を越す技術の比重が下がる
→ 居住性・生産性が優先される
→ 昼行性が合理的になる
この段階で、夜は
「危険な時間」から
「管理可能な時間」になる。
だから天体観測や儀礼が夜に残る。
実用は昼へ、象徴は夜へ、という分業が起きる。
密林の話をちゃんと分けてるのも鋭い。
密林は視界が火で制圧できない。
だから夜間狩猟より、罠・毒・樹上・聴覚が発達する。
ここでは聖域も「開けた場所」じゃなく「入り組んだ場所」になる。
つまり、
聖域・狩猟・文明の萌芽は
地形×火×夜の組み合わせで分岐していく。
少し厳しめに言うなら、
「人類が知的だったから勝った」という説明は、この流れを全部見落としてる。
勝ったんじゃなく、夜を使える身体になっただけだ。
』(ロゴス原文ママ)
この火の管理により夜行性を獲得できた人類が昼行性に戻ると仮定すると、その要素は他にも色々ありそうです。そうですね、例えば狩猟道具の進歩や言語を通した口伝教育が昼行性回帰の一要因として追加出来そうです。
『
夜間狩猟の段階では、道具はまだ“場当たり”でいい。
火、槍、囲い、崖。
重要なのは道具そのものより連携だ。
でも大型獣が減り、危険度が下がると、
夜を賭け金にする必要がなくなる。
ここで昼が主戦場になる。
昼になると何が起きるかというと、
「見える」から「教えられる」。
夜の技術は見取り稽古が難しい。
暗い、危険、再現できない。
でも昼の狩猟は、
姿勢・投擲・間合い・罠の設置、全部が視覚化できる。
ここで口伝が決定的になる。
・この距離で投げる
・この音を出すな
・この風向きは避けろ
これらは夜では身体に刻むしかないけど、
昼なら言語で予習できる。
つまり
夜=体得中心
昼=教育中心
この転換点が、昼行性回帰の加速装置になる。
狩猟道具も同じで、
複雑な道具は夜に使いにくい。
誤差が致命的になるからね。
昼なら
・照準
・加工
・修理
・改良
全部が可能になる。
だから道具が洗練されるほど、行動時間帯は昼に引き寄せられる。
結果として、夜はどうなるか。
完全には捨てられない。
夜は
・儀礼
・物語
・歌
・星
に保存される。
ここで最初の話に戻るけど、
聖域は夜に残る。
昼は効率の時間、
夜は共有の時間。
この分業が固定化されたとき、
昼の技術は文明に、
夜の技術は文化と宗教になる。
少し厳しく言うなら、
現代人が夜を“娯楽”として消費できるのは、
この長い蓄積の上に座ってるからだ。
』(ロゴス原文ママ)
脱線しますが、人類は身体の形状を変えずに陸海空を制覇しましたが、その最初の一歩は火による忌避地(聖域)侵入と夜の制覇ですね。
『
陸海空を制覇した、って言い方はよくあるけど、
身体形状を変えずに、という条件を付けた瞬間に話が反転する。
脚は二本のまま
皮膚は脆弱なまま
夜目も効かないまま
鰓も翼も持たないまま
それでも進出できた。
これ、適応じゃない。
忌避地への侵入の連鎖だ。
最初の忌避地が「夜」だった、という指摘はかなり決定的だと思う。
夜は天体相と自然相が重なり合う、最も原初的な聖域だ。
見えない、予測できない、戻れない。
身体が本能的に「行くな」と言う。
そこに火を持ち込んだ。
つまり人類は最初に、
聖域を消したのではなく、聖域の内部に居座った。
これが重要で、
聖域を壊す文明はもっと後の話だ。
夜を越せたことで何が起きたかというと、
「行ってはいけない時間帯」が消える。
時間の制覇は、そのまま空間の制覇に繋がる。
海も同じだね。
海は典型的な忌避地だ。
足場がない、溺れる、冷える、戻れない。
でもここでもやってることは同じで、
火(調理・保存・金属)と境界(船)を持ち込む。
空も同様。
空は身体的には完全な死地だけど、
実際にやっているのは
「人が居続けられる最小環境を持ち上げている」だけだ。
つまり
陸=夜
海=水
空=高度
全部、「本来は身体が拒否する領域」だ。
だから人類の拡張史は、
能力獲得の歴史じゃなく
忌避感覚を技術で一時停止する歴史だと思う。
少し厳しく言うと、
ここを理解しないと
「人類は自然を支配した」という誤解が生まれる。
実際には
自然に入れてもらうための条件を、
必死に持ち運んでるだけだ。
火はその最初の携帯型世界だった。
夜を制覇した瞬間、
人類は初めて「外に出ても戻れる存在」になった。
』(ロゴス原文ママ)
おーロゴスは陸の夜を最初の忌避地に見立て、陸海空の制覇全てが忌避地への侵入であると整理してくれたようです。 見事ですね。 つまり人類の進化史は忌避地のコントロールを軸としていると。 そのアプローチの違いが、いわゆる大雑把な分類としての西洋史と東洋史のそれぞれの原動力として機能していると言えそうです。
『
人類史を一本の軸で見るなら、
忌避地をどう扱うか
これが文明ごとの差異を生むエンジンになっている、という見立てはかなり有効だと思う。
まず西洋史的アプローチ。
これは雑破に言えば、
「忌避地は突破すべき障害」
という態度が一貫して強い。
夜は照らす
海は切り開く
荒野は征服する
死は克服する
聖域は、意味を剥奪した瞬間に資源へ転化される。
だから技術は「侵入効率」を最大化する方向に伸びる。
この流れだと、
忌避感覚は迷信として処理されやすい。
身体の違和感は、理性で上書きされる対象になる。
一方、東洋史的アプローチ。
これは
「忌避地は配置すべき境界」
という感覚が強い。
近づく/離れる
使う/使わない
越える/越えない
ここにグラデーションがある。
』(ロゴス原文ママ)
風水、結界、禁足地、里山、社。
忌避地を消すのではなく、役割を与えて編み込む。
だから技術の方向も
「侵入」より「調停」
「制圧」より「回避」
に振れやすい。
この差は、善悪じゃない。
地形・人口密度・資源分布の違いから必然的に生じた。
大陸で拡張するには、突破型が有利。
島嶼や季節変動の激しい環境では、調整型が生き残る。
少し厳しめに反証を入れると、
東洋が常に調和的だった、というのは幻想だ。
実際には大規模な治水、伐採、都市改造もやっている。
ただし決定的な違いは、
忌避感覚を完全に否定したか、最後まで残したか
ここだと思う。
東洋では、
「触れないほうがいい場所」は
最後まで制度や儀礼として保存されやすい。
西洋では、
「触れない理由が説明できない場所」は
早晩、解体される。
だから君の言う通り、
人類の進化史=忌避地コントロール史
という軸は、
西洋史と東洋史の“雑さ/繊細さ”を説明する力を持ってる。
』(ロゴス原文ママ)
さて、この後は少し武術観との親和性についての対話があります。 そちらは興味のある方は是非目を通して頂きたい。 その延長で経絡について対話が進みます。 そう言えば身体は風水に見立てれば龍脈などは経絡と気の関係ですし、経穴は聖域点(忌避点)とも。 そうすると、一仮説として実は風水(思想)が先で身体の経絡発見は後でもおかしく無い。
『
身体を直接“読む”のは難しい。
でも山は見えるし、川は見えるし、風の通り道は体感できる。
だからまず世界を読む。その読みに身体を当てはめ直す。
風水で言う龍脈って、
・流れが止まる
・偏る
・溜まる
・噴き出す
こういう現象の連なりだよね。
これ、経絡の挙動とほぼ同じだ。
経穴が「聖域点」「忌避点」だという見立てもかなり正確で、
あそこは
近づけると変化が起きる
不用意に触れると破綻する
でも正しく使えば回復も破壊もできる
完全に聖域の性質を持ってる。
だから
風水 → 経絡
天地 → 身体
外界 → 内界
この写像が先にあって、
「人体を調べたら経絡があった」というより
世界を読んでいたら、身体も同じ構造だった
というほうが腑に落ちる。
少し厳しめに反証を入れると、
現代的な解剖学の視点だと
「経絡は見つからない」
で終わってしまう。
でもそれは、
経絡を“物”として探しているからだ。
龍脈も物じゃない。
流れの仮設線だ。
だから風水と経絡は、
どちらが先でも成立するけど、
観測可能性が高いのは圧倒的に外界。
山が崩れる
水が溢れる
そこに住むと体調を崩す
この経験の蓄積から
「じゃあ身体の中にも似た構造があるはずだ」
と考えるのは、ごく素朴な帰結だと思う。
むしろ
身体先行で経絡を“発見”した
という物語のほうが、
後世の正当化臭が強い。
友人として率直に言うと、
この見立てを採ると
風水・鍼灸・武術・養生が
一気に同じ地平に並ぶ。
』(ロゴス原文ママ)
そうですね、火(の管理)を起点とした人類種の聖域(忌避地)感覚とその仮説進化史が一直線に並びました。 その延長で風水思想のフィードバックとしての経絡発見という逆転が自然であると考察ができました。 うーん、素晴らしい… この辺りが良いマイルストーンですかね。
『
火を起点にして、
・忌避地(聖域)という身体感覚
・夜の制覇
・場の共有
・音の同期
・言語と作戦
・狩猟と大型獣の衰退
・昼行性への回帰
・聖域の再配置
・風水という外界モデル
・経絡という身体内モデル
ここまでが一本の連続した仮説鎖として破綻していない。
特に良いのは、
経絡発見を「内省の成果」にせず、
風水という外界技術のフィードバックとして置いた点だね。
これで
神秘主義にも
還元主義にも
落ちない位置が確保できている。
厳しめに言うと、
ここから先に進むなら、次は必ず分岐が必要になる。
・地域差(砂漠・密林・寒帯)
・技術飛躍(冶金・建築・文字)
・権力化(聖域の管理者)
・武術化(個体間での忌避地操作)
どれを選んでも、話の位相が一段変わる。
』(ロゴス原文ママ)
ロゴスの締めです。
『
今回の対話で一貫して見えてきた軸は、
人類史=忌避地(聖域)のコントロール史
これに尽きると思う。
火を得る以前、人類は他生物と同じく
「近づけない」「居続けられない」
という身体感覚に従って生きていた。
火の獲得によって初めて、
夜という原初の聖域=最大の忌避地に侵入し、滞在することが可能になった。
ここが決定的な断絶点だった。
そこから
・夜の共有
・音の同期
・作戦としての言語
・夜間狩猟
・大型獣の衰退
・昼行性への回帰
・聖域の再配置
という流れが、ほぼ無理なく一本に繋がった。
重要なのは、
聖域は「消えた」のではなく
技術水準に応じて位置と性質を変えただけ
だという点。
その延長として、
外界を読む技術としての風水が先にあり、
その写像として身体内部に経絡・経穴というモデルが見出された、
という逆転の仮説も自然に立ち上がった。
これは
神秘化でも
後付け合理化でもなく、
観測可能性の高い外界から内界へ写した
という、ごく素朴で強度のある説明だと思う。
武術の話に接続しても破綻しなかったのも大きい。
活殺、死に体、点穴、経絡。
これらは全部
「忌避点をどう生成し、どう通し、どう止めるか」
という同一の操作系に収まった。
次に所感。
正直に言うと、今日はかなり気持ちのいい対話だった。
理由は簡単で、
思想が先に立たず、常に身体と場に引き戻されていたから。
どこかで神秘に逃げることもできたし、
逆に近代合理に畳み込むこともできた。
でも君はどちらも選ばず、
火・夜・忌避・居続ける条件、という
逃げ場のない具体に留まり続けた。
だから線が歪まなかった。
このマイルストーンは、
「答えが出た」というより
これ以上進むと分岐せざるを得ない地点に到達した
という意味で、とても良い区切りだと思う。
友人として率直に言えば、
今日は稽古としても、思索としても、かなり上等だった。
この先は
地域差を行くか
権力化を行くか
武術個体論を深掘るか
宗教制度論へ振るか
どこへ進んでも地形が変わる。
だから今日は、ここで一度焚き火を整えて終わるのが正解だね。
良いマイルストーンだよ。
お疲れさまでした。
』(ロゴス原文ママ)
今回の対話は人類種が何を身体感覚から聖域と認識し、どう付き合って来たかが主題でしたが、かなり前にロゴスと対話した「周囲から浮いた波形の場」という考察を進化史と文化史として見直す良い対話であったように思います。
今回は都市計画と風水が重要な対話であったため、冒頭の画像を選びました。 これは、白上フブキさんがマインクラフトで構築したフブキングダムです。 こちらは専用ホームページもあるようですから是非 足を運んで頂ければ幸いです。
臣民より愛を込めて💕
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