アドバイスとの対峙についての雑感

 



実際に主治医に相談したこともあるのですが自身が鬱病のように感じ苦しかったときに、当時のTwitterでの鬱病患者へのアドバイスとしての書き込みや同じように苦しんでいる方へ配慮した動画に救われた経験があります。

私の場合はそこで語られるアドバイス通りにしたわけではないですが、大いに参考になり自身に当てはめるならどうであろうか?であるとか、そういった方が紹介するはるかに私より苦しんでいるであろう方に対するアドバイスは自身に当てはめる場合の仮説に役立ち大変感謝の気持ちを今も持っています。

Twitterでは錦山まるさんであるとか動画では橋本翔太さんなんかは苦しい時期に大変な救いになりました。 橋本翔太さんのライブ配信など見て感じるのは、やはり細かい処方的なものはオーダーメイドに近い感じで個々人によって変わるように感じます。

これはあくまで私個人の所感ですが、橋本翔太さんなどのアドバイスを必要とする方は例えて言えば胃腸が弱りきりお粥しか受け付けなくなるまで弱った方が対象ではないかと感じます。 氏は柔らかく寄り添ったなかにも若干の厳しさも感じ、素晴らしいなぁと思ったりしました。

さて、ここまでは前置きですが現在の私はこういった方たちだけのではないですが多くの助けを受け若干の回復傾向にあります。 つまりは例えて言えば胃腸は少し消化能力を取り戻し食生活を若干見直している時期であると感じています。

ですので私は若干であれば消化の難しいものや薄い毒であれば接種したほうが良い時期ではないのかな? と感じてはいます。 これは回復や更に先の強壮への道筋として感じています。つまりはアドバイスというものは対象とするものは何であるか?という前提条件があるように思っています。

ですので、誰かのアドバイスや発言を耳にしたときにそれが発信者との直接的な会話ではなく、間を挟むようなそれこそSNSでの発信のような不特定多数に対するものは、自身に当てはめるのであればどうであろうか? というワンクションは必須であるように感じます。 服や靴にしてもオーダーメイドと既製品では基本姿勢として利用のしかたは変わるでしょう。

昨今は武術での動画配信や通信教育システム(これは昔からありますが)について耳にするのですが、全く同じではないにしろ利点欠点については共通するものがあるように感じます。そのへんはよくよく熟考したほうが良いのではないかと思ってはいます。

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