写真を撮られると魂が抜かれる?
昔の日本人(だけかな?)は写真を撮られると魂を抜かれる等の迷信を言う方がいたようで・・・ なんてことを「へー」と思っていたのですが、私の師であるところの光岡英稔氏などは動画などに撮られると弱くなると指摘をしていまして、当時私は「へー」と思ったものです。
ですがですね、最近色々体認経験を積み感覚が変わって来て、昔の日本人が指摘していたことや師が指摘していることと同根かまではわかりませんが同じように写真や動画に撮られることに嫌だなぁと感じるようになりました、いや肖像権とかそういう意味でなくですw
大雑把に要約するとですとね、流動的感覚とでもいいましょうか、まぁ諸行無常だとちょっと違う感覚に思えますが、そいった動的平衡にも現れるような「流れの中にいる感覚」が「情報として固定化」されることに若干の不快感を発生させているようです。
この辺は例えば絵に描かれた川は流れていることが多いのですが、写真の川は静止していることが多いんですよね、私は多くの写真や絵画を鑑賞しているわけではないのですが、こういった感性が固定化された情報として他者に認識されて縁が結ばれることに警戒心が発生しているのでは?と思えます。
とは言え、現代社会に生きているとある程度の諦めにも通ずる覚悟を持たねばならんよなぁ・・・ とも思ったりしています。🤤
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