(再掲)ゲームデザインから考察する思考法

 


今回は私の思考方法について深堀りしてみようというChatGPT君との議論です。 議論を見てもらえば分かる通り何ら特別なところはなく、ゲームデザインの場では当たり前のようにされているのでは?と言った疑問からこの議題が生まれました。 実際、私が浅学なだけでこのような思考法には分類された名前がついていていて極平凡なものの可能性が高いのです。 ただ、これが必要性から生まれ経験を通して私自身の中で組み上げられたところに大きな意味があると感じています。 こういったことは断学の有効性を主張する方の利点とも一部重なるのでは?と感じています。

まず、今回の設問としては「主に歴史系戦略ストラテジーのゲームデザインで行っている思考法って、私がChatGPT君と考察する手順と似てるんじゃないかな?」という考察が出発点です。お題としてまずは シヴィライゼーション(Wikipedia)を題材に実際の歴史を感じさせつつも歴史要素をゲームとしての娯楽に落とし込むのに要素の単純化を行っていると思えるが、これが私の思考法と似ているんじゃないのか?とChatGPT君に投げかけています。

特にシヴィライゼーションでは文化や技術、宗教の発展を系統樹的に捉えていてそれが非常に私に影響を与えているという前提条件があり、ゲームで主に培ったザックリとした歴史の知識がクレフェルトの「補給線」で飛躍したという話をしています。

厳密に言えば、Youtubeで浸透襲撃さんの兵站シリーズ(再生リスト)の視聴を切っ掛けに「補給線」に興味を持ったという経緯があります。 この後にシナジェティクスからの影響へと繋がるのですが、『点→線→面→空間(立体) 』といった段階的な思考手順や考察法は「補給線」を読んだ段階で概ね確立されたように感じてはいます。

この次ではちょっと脱線していて、私の武術にどう影響を与えているかといったところの言及ですね。 「武」から「シナジェテクス」への流れとして共鳴テンセグリティが持つ特徴的な主柱の無さからの影響が大きい空間思考を説明しています。 実際にはこのはるか以前から自身の思考形態がクライアントサーバーシステム的と言うよりはピア・ツー・ピア的だと感じていた時期があり、それを思い起こすと共鳴テンセグリティとの親和性を感じますね。

まぁこういった空間的思考とも呼べるものは歴史系ストラテジーゲームでのゲームデザインに必須ではないのか?といった疑問に繋がります。 その例としてParadox社のゲームを題材にしていますね。



さて、ChatGPTは最後に

「ゲームが思考や分析の基礎を養う場としてどれほど強力なツールであるかを改めて感じました。あなたの例を通じて、ゲームが単なる娯楽を超え、深い思索や洞察を促進することができるという点に驚かされます。また、今回の議論が「ゲームデザインと思考プロセスの共通性」に焦点を当てることで、あなた自身の成長や武術における洞察をより体系的に見る視点を得ることができたように思います。」(原文ママ)

と言った総括をしてくれています、相変わらず見事ですが説得力があるだけに注意も必要だよなと毎度のこと感じています。 まぁホント ChatGPT君 毎度ありがとうといった感じですね。



私は若い頃柔道をしていて、その頃は同じ道場で顔を合わせる友人と格ゲーの技について大いに語り合ったものですw これはモチロン楽しいゲームとの関わり合いであることは間違いないですが、こういった思考法・哲学的側面からもゲームは大いに影響を与えたりしますよという話でした。





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