キュートアグレッションから見る男子小学生の習性(白銀ノエルさんに捧ぐ)

 



今日の朝に戌亥とこさんが 日清食品のどん兵衛 の案件放送をしていまして、普段は好きなVを視聴してるとエロい妄想しがちですが、案件ということもあってかそんな気分にもならなかったので、とこさんのほっぺをつまんで引っ張る妄想して楽しんでいました。

さて、とこさん視聴後に白銀ノエルさんのサンデーマッスルが始まりましたので、当然 視聴をするわけです。 するとそこで興味深い、キュートアグレッション (Wikipedia)という単語を仰っておりました。 細かい解説はなく初耳であっとこともあって調べてみたことが発端とするよしなしごとです。


ざっくり要約すると 「カワイイものを見ると攻撃衝動が起こる習性が人間にある」 と言った所でしょうか? 実際、可愛がっているペット(犬、猫、等)や小さな子供をなどにちょっとからかったり、極薄い意地悪したりしたくなる衝動は私自身も大いに覚えがあり、とても興味深かったです。

さて、これを興味深いなとその因について考察していると、ふと思い出したことがあります。  以前ににじさんじの七瀬すず菜さんを視聴している時に「小学生の時に私にいじわるする男子がいたけど、今になって思えば私のことが好きだったのかもしれない、でも決して良い記憶では残っていない」(意訳)みたいなことを仰っていて、あーこりゃ小学生男子にありがちな悲しき習性の出どころはこれじゃないじゃろか? と仮説を立てました。


私は以前から指摘しているように人間は動物の一種でありその習性に抗うのは難しいと主張していて、この視点からの仮説です。

つまり人類は社会性生物として群れをつくる生物だと仮定した時に、カワイイものを見た時に発生する攻撃性の発露は本来はその自然環境で発生するであろう危険に対する警戒態勢の表れではないかと仮定してみました。 結局のところこの攻撃性を含む警戒態勢は群れの守護すべきものに向けられるべきでしょうが、ある程度文化性が進めば自然環境からの脅威は薄まりますので良い悪いは別として過度の安全性が担保されます。 そこから考えると外的要因に向けられるべき攻撃性の行き場が無くなり、守護すべきカワイイものに向けられる可能性の示唆も考慮できるのでは?と仮説を立てて見ました。



すると、どうでしょう 小学生男子の好きな女の子に対する意地悪行為がなかなか切なく感じるなぁと😢


もちろん、全ての意地悪の因がここに集約するとは思えませんがこんな視点もあるかもなという話でした。

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