デブと武術の親和性

 

今回は武術界では良く言って巨漢、悪く言ってデブが批判される傾向にあります。 かくゆう私も柔道で筋肉ムキムキのマッチョになったあとにしばらく運動怠っていたら100Kg超えのデブになったからこそ自嘲としてこういった表現を使えると思っています。


これについて、最近このようなポストを見かけました、

仕事忙しくて週1〜2コマの稽古しかできなくても気合い入れてやれば余裕で体型維持できる。

それすらやってないのに金とってたら詐欺でしょ、何を教えるんだよ、稽古してないのに。

こちらは、ネット上で密かに私が敬愛している @0054_yokohama  さんのポストです。 この方は八卦掌の伝人である以上に普段のポストから忍ばれる人柄が好きなのですが、色々内に秘める思いはあるでしょうが私のネット上での印象からはアスリート系八卦掌という方向性のように感じていて、私等とはアプローチが違うながらも有無もいわさぬ説得力を持った方と思っています。

この一つ前のポストも含めて氏はデブに厳しいので、ポストを拝見するたびに耳が痛くと言った所です。


さて、ここまでは前置きです。 では本当にデブは武術に不向きなのか?といった私見です、ここ詳しく言及すると現在のところ稽古不足でもあり、自身ではもうデブではないと思っていても、中肉中背の方ぐらいからは「おめぇはデブ!」と指摘されれば「ぐぬぬ」と言った体型であるためデブの言い訳と判断されるやも・・・ しかし、それも覚悟の上で「しゃーなし!」と記述します。

さて、私が巨漢の武術家として思い浮かぶ方と言えば・・・ 王樹金楊露禅ミカエル・リャブコ、などの名前が浮かびます。しかし、まぁ「こういった名だたるの人物がデブだからって、おめぇがデブで良いわけじゃねーだろが!」 と言われれば言い返す言葉がないわけです。 

ただ、これは古武術での柔術を通しての自身の体認とそこでの見聞の話ですが、例えばそれなりに自重を有効利用できる技術を身につけると、崩しにしても当てにしても移動にしても効果が大きくなるのは事実です。 例えば私自身は経験していないですが身に合う甲冑を着ての技の効果は大きくなると言い、ベスト型のオモリを着込んでの技や人をおぶっての技の効きが大きくなる実例を受けの立場で体認はしていますし、当時道場でも指導者から私が一番巨漢であったため技の効かせるのが容易いとの指摘を受けています(同時に難易度の低さから上達のデバフにはなるようです)。

つまりは、キチンとした技術があれば自重は有利に働く場面も流派によっては大きいと言えると思います。 ただ、持久力という面では不利に働くのはその通りでしょうから何事も一長一短ありかと。

最後に余談ですが私の師である 光岡英稔 も決して痩せ型でなく、体系分類で言えばまぁデブ?かなと、その身体の内実は私とは比べるようなもんではないですがw


まぁこういった諸々をザックリと「動けるデブは強い」と表現した方もいまして、私も採用していますし、デブに限らないでしょうが「こいつは例外で一味違う」という評価を受けるためには当然 説得力のある何かしらは必要ということでしょう。

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