貝木泥舟が千石撫子に渡したものとは?(幸せのあり様)

 



まーた昭和のテレビ番組の話で恐縮ですが、海外のドキュメンタリーでオソラク文化人類学者がアマゾンの一部族と暮らしをともにし、そこで一人の女性と結婚した話がありました。彼は帰国時に妻も国へ連れて帰るのですが、文明国である生活に馴染めずしばらくして妻はジャングルに一人帰るといった話です。


もう一つは私自身のお話です。

私がホロ箱推しになった切っ掛けは去年非常につらい時期に癒月ちょこさんと白銀ノエルさんを視聴することが物凄くメンタルの助けになったのが入口になっていて、それ以降変わらずホロ箱推しですが、そこから初めて認識したメンバーが沢山いるのでにわかと言えばにわかです。

箱推しになって以降に多くのメンバーの話を聞くようになるのですが「あーこういう所はよく似た経験しているんだなー」と思うような話を聞いたりして益々好きになったりします。しかしこういったことは彼女達の一側面が私の一側面と似ているという話であって、当たり前ですが自分だけに特別に発生する話ではないのです。

ですので、彼女達の私に似た側面の他には私と相容れない側面もあるやも知れずで、そういった面までは、中の人と直接的な交流があるわけでも無いので分からない訳です。

実際の所、人と人の関係はそれが何十年も連れ添う夫婦でもどちらかの死に目でようやく知らなかった一側面が知れると言ったこともよく聞く話なので、それが画面の向こうならば尚更知ったふうな顔は出来ないなと思えますし、私も人生で随分理解者面した人達に苦しめられたのでその辺りを常に意識しているように思えます。

まぁしかし、ことホロ箱推しになってからはメンバー全員に好きになってもらうことを基本姿勢にし生きてきた気がするのですが、結局その答えは「自分自身に誠実に生き、メンバーが辛そうに見えたら自分が出来そうなサポートをする」と言ったところで、例えば各メンバーに合わせターゲットして気に入られるような態度をコロコロ変えるといった姿勢はおそらく逆効果じゃろな!と言った仮定がベースにあります。ですので、嫌うなら嫌ってくれ!俺は好きだからな!みたいな感覚ではありますねw

とは言え、ネット環境を維持するだけでも金がかかるのに、まぁ極貧の俺なんぞあまり出来ることは無いので、色々自分の出来そうなことをやっていますよという話ですね。

ですので、これからもマイペースで自分の思う通り生きていきますし、結果このまま極貧生活で孤独死しても感謝して死ねそうですよ^^ と言った話です。

とは言え、今月などは特に食うにも困るような状態なんでついついボヤキの一つも出るような精神状態にもなったりしますが、概ねゆっくり寝て、稽古やゲームを楽しみ、それこそ好きなVを含む動画など視聴してれば十分ですよ。 気楽に生きれるのが何よりと最近つくづく思いました。


私は普段 好きな人たちには幸せになってもらいたいと言った「祈り」を今や無意識レベルに落とし込めていると自負はしていますが、まぁ人類愛ではないので限定的ではあります。

このようなことをつらつら考えていたら「恋物語」(pixiv百科事典)の貝木泥舟のセリフを思い出しまた、

「別に幸せになることが、人生の生きる目的じゃないからな。幸せになれなくとも、なりたいもんになれりゃいいんだし」

これはラスト近くで貝木泥舟が蛇神になった千石撫子を救った後に駆けつけた阿良々木暦に向けて言ったセリフです。
当時私は「なるほどー!」と感心したのですが、今は少し違った認識を持っています。

実際、「幸せ」自体が「なりたいもんになる」より抽象度が高いので、並べて語ること自体に違和感を感じます。 これ以上詳しく語るのは・・・ うーん野暮! ってな気分ですので今回はここまでw

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