赦しのロジカル性(シスター・クレアさんに捧ぐ)
本日はシスター・クレアさんの放送で赦しについて言及していました。 まぁ私等は随分長い間 親を恨んでいましたので、なかなか耳の痛い話であります。 実際の所、他者にもう赦してやれよと言われて ハイそうですね^^ と簡単に行くはずもなく、大抵は「うるせーな、おめーに俺の何がわかるんだよ」、となるのが自然では?と思います。
ですが、自身のパターンで恐縮ですが・・・ まぁ憎んでいた人間がどのような状態であったかを経験することで なるほど となるこことはあるようです。
「あーこりゃ、どうにもならんな」という状態を経験したことで私はある程度 赦しを体認することが出来ました。 よく私が言及するように人間は動物の習性からは基本 逃れられないので限界があるわけです。
で、あくまで私自身の話にはなりますが、「赦し」と「体認を伴ったロジカルシンキング」は必須と思えます。 宗教的な説法の多くが卑近な例え話をして「我が身を振り返ってみよ」となるのは解釈を通したロジカルシンキングを提示しているようにも思えますしね。
なので、まぁ漠然と「赦さなきゃ、赦さなきゃ」と頭を抱えるのは逆効果に思っています。 もし、あなたがこれに立ち向かわなければならない時が来るなら、きっと何かを経験する機会が訪れるのでは?
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