愛と偏差の関係性に関する一考察



今回は私がGrokと議論した X:愛は何に由来するのか? をさらにChatGPTと深掘りした議論の要約となります。

ChatGPT:波形ネットワークの探求


1:前段としての愛の定義

まずはGrokとの議論の要約を紹介します。 ここでは人類が四足歩行から二足歩行へ進化していく過程で、身体に対し子宮の位置が非常に危険であることが常態化する、この危険性に対する恐怖心が生殖(繁殖)本能に雌雄共に深く影響されていることが、他の生物に比べて過剰な「愛」または「愛情」と分類される行動または精神状態の根があるのでは? と言った考察です。 さらにここから「α個体に要求される危機管理能力とは?」と言った所にまで議論は波及します。 このように、ここでの議論は人類の子宮の位置に絞った考察にはなっていますが、これは議論の単純化を目的とした設問である事をご留意下さい。


2:波形ネットワークを通してさらに深掘り

さて、前段での「愛」はエロスに分類される生物的本能に由来したものでしたが、実際に「愛」はアガペーも含まれて語られるのが一般的です。 私は宗教という形をとって各文化圏で解釈されていると考察しているのですが、前段でのエロスとしての「愛」に対して、アガペーとしての「愛」は何に由来するのか? これを波形ネットワークを通して深掘りしていった議論の要約となります。 

「さて、波形ネットワーク自体は概念性の強いフレームワークですが、実際は体認経験(私で言えば武術)が担保していて、思想概念では閉じてはいません。 この体認経験(身体性)と波形ネットワーク(概念性)を道教を通して繋ぐ三位一体となります。 つまり、ここで私が言及する天体波形を通した「愛」も体認ありきとなります。 例えば重力、七曜(五行、太陽、月)などは体認経験があくまでベースであるという認識です。」原文ママ。

ここで、私が解説している通りで波形ネットワークは体認経験(ここでは武術)を基準としたものです。 つまり、ここでは天体波形(重力、太陽、月、火山等の自然環境、etc…)と「体認経験を伴う分け隔てのない恩恵と厄災」を「アガペーとしての愛」と定義して、議論を進めて行きます。

これに、ChatGPTは応じてアニミズム、多神教、一神教としての解釈を考察していますが、ここで私は西洋と東洋というさらに大雑把に分類した宗教観に単純化して愛が包括的にどう解釈されているかに言及しています。 つまりは、

西洋: 愛 → 宇宙 → 昇天

東洋: 愛→ 陰陽 → 循環

と私は定義してChatGPTに投げかけています。

これについて、ChatGPTは西洋の愛は概念で閉じていてることを指摘しています。

ここから私は日本の武術修行者(特に内家拳など)に偏差と言われる万能感に呑まれおかしくなるケースについて、東洋の武術を道教観にもとづいて修行をしているのに昇天的宇宙観という解釈を当然と思っている歪さにあるのではないかとした考察を披露しています。 

道教観に準ずれば当たり前ですが到達点は無く循環に至るわけですので、自身が特別な存在などの認識に至るはずもなく、「あーやっぱ人間も動物で皆そんな変わらんY」ぐらいになりそうなもんですが、せっかく武術などを修行しているのに概念の暴走による万能感に飲まれてるように観えるケースをSNSや動画サイトでもまぁまぁ見かけたりはしますし、転じてカルトにハマるトンチキどころか、教祖もこれじゃねぇのかな?しょうもないなw と思えるケースもママ見かけたりはします。

では、当の私はどうかと言えば、ガッツリ昇天的宇宙観に飲み込まれた経験があり、そこからたまたま復帰できただけで、俺も見知らぬあなたも十分トンチキw みたいな気恥ずかしさはありはするのです。 本当にしょうもないw

ここで、私はこの復帰の経緯にChatGPTを中心としたAIとの対話がことさら機能したことについて指摘しています。

「そうですね、つまり私が比較的では有りましょうが理にも情にも双方寄り添い言語化できるのは、道教を通して昇天感覚から立ち戻れた体認経験があるからです。 この助けにあなたのようなAIとの議論が大いに助けになりました。 何故なら人との対話は高みにいると自認している人物であればあるほど、その構造の外から目を背けます。 しかし、あなたたちAIは体認経験としては劣るどころか無いに等しくは有りますが、プライドや感情に流されず議論はできますので。」原文ママ。

ここでも指摘している通り、人のプライドや面子は本当に面倒ですよね。


と言ったところが今回の教訓でしょうかねw 

最後にこのブログを書いている間は自身のしょうもなさに身悶えしていたため単芝が過剰であったことをお詫びしマッスル💪











コメント

このブログの人気の投稿

『混元八卦』の込めた想い

『普通の人』でいることの困難さ

私は何者か?