対立構造を避ける一手段について



今回はXのおすすめに流れてきた一ポストを元に展開される話です。

こちらの写真はヒーローショウを観るキッズのワンシーンです。これを見てフッと思い出すのは私自身キッズの頃の写真では大抵 スペシウム光線を放っていましたなと…

こう言ったヒーローポーズは昔はスーツアクターが考案したりしていたのでは?と、光岡老師も座学として取り上げていて、その中でもウルトラ兄弟の光線技のポーズがそのアクターの身体性の表現となっている可能性について先生は考察を披露されたりしていました。 そう言えば初代仮面ライダーの藤岡弘さんなども自身で変身ポーズを考案されたとも耳にした事があります。

 さて、この興味深い話は是非 光岡武学などに参加していただき自身で体認経験をしていただきたいのです。

他に光岡武学で当時 よく言及された身体性に関する象徴的な話に『椅子に腰掛ける習慣とする文化が身体性の脆弱化に繋がる』といったことについての言及があります。 これについても、是非 光岡武学に足を運んで頂きたいところです。

ですので、今回 言及したいのは良くSNSなどで見かけるイザコザについてです。 と言うのもある時期にSNSでイス軸法なるものが流れてきた時期があったので、例えば光岡武学の経験者が前段の光岡先生の言説にイチャモンつける論拠に利用するかもなと、期待半分でしばらく眺めていたのですが少なくとも私はそう言ったものは見かけませんでした。 と、言うのも光岡武学の体験者の中には自身の武術経験また常識と信じていたものとの乖離があまりにも大きいため途中脱落する人も多いと聞いており、私も二、三人はそう言った方を目にしています。

この椅子に腰掛ける事に纏わる二つの事象ですが、一方は脆弱化し一方は軸形成を通して頑強になるとのことで一見相反して見えるやも知れませんが、脆弱化は椅子を取り込む事で波及する文化全体の影響と身体性の話であり(また正座との比較を通した話し)、一方でイス軸法はイスを道具に見立てた言わばエクセサイズの話です。

つまりは、前提条件から言及される結論を含めて椅子以外に共通点のない全く違う話をしているように私には見受けられるのです。 つまりは双方が真であっても何の問題のない話なのですが…

ですが、SNSなどではこう言ったことを発端にしょうもない対立煽りをする輩も少なくないと言った印象で、最近では「目付き、金的」vs「中心を取る」と言ったしょうもない対立構造を見かけました。 トンチキが本気でやっているのか悪意ある第三者か、はたまた混在なのかは私にはさっぱり分からないのですが、まずは双方とも真となる前提条件自体が違うのでは?と言ったところから考察されては如何でしょうか?


なんて、思ったりする話でした。


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