平時と緊急時の群れのあり方について思うこと

 


さて、SNSで武術関係者の書き込みを眺めたりするのが私は好きです。

必ずしも自身の学ぶ武術と思想はリンクしてるものではないですが、中には先の大戦に思い込みが強すぎて「はぁ?」思うような意見も眼にすることもあります。 私が疑問に思うからといって正しいとか間違っているとかいう話では無いので、ある程度は私の現段階でのスタンスも表明しておいたほうがいいのかな?と思い記すことにしました。

大前提として平時と緊急時は違って当然だと考えていることがあります。

例えば戦時を美化したい人は戦時の醜聞を避けるでしょうし、またその逆もしかりでしょう。

例えばですね、戦争で命を落とした方々に私は敬意を持っていますし、よく話に出る「特攻隊」に少なくとも自身の信念を持って志願した方々にはもちろん頭が下がります。 しかし、よく聞く話ではありますが、強制も多かったとも聞きます。

つまりは、強制が発生する背景は色々あるのでしょうが、志願することでこの行為を当たり前と判断する思い上がりが上層部に発生したようにも私自身について言えば思っています。

こういったことは多くの要素が絡み合うでしょうから、これが原因だ!などと一つに絞って言えることでは無いことは重々承知をしていますが、美化思想の強い方の意見には私は首を傾げることが多いです。

例えば大戦中に日本でも原子爆弾の研究は行っていたという話は耳にしていたのでちょいと調べてみると、

日本の原子爆弾開発(Wikipedia)

さて、いろいろな要因が絡み失敗したようですが、たらればを話してもしょうがないですが、実際成功しアメリカに使用する手段があった場合に日本は使用しただろうか?というところは考えずにいられません、他には

メタンフェタミン(Wikipedia)

みたいな話も耳にしています。

この辺は事実とされている所ですから例として挙げやすいですが、他にも真偽やその規模においてよくわからない話も耳にはしています。

私は少なくともこれらについては時代背景と戦時という特殊な環境から発生した不幸な出来事という認識で、第一次大戦の マスタードガス(Wikipedia)のような教訓として学び、平和利用できるならその研究を活かしてもらいたいよなぁと思っています。 例えば  ハーバー・ボッシュ法(Wikipedia)なんかはわかり易い例で、戦時は火薬の生産に大いに利用されたようですが平時では肥料に利用されたと聞いています。 核技術については私自身は同じ様に思っています。



さて、本題です。

戦時美化傾向の方のなかにはSNSの性質上もあるでしょうが極端な意見が目立つように思います。 まぁ逆も然りではありますが。

少なくとも、緊急時に意思決定においてある程度の揃った指向性というのは必要な場面が多いとは思いますが、平時にまでそれで当たり前だろうと主張する意見には大いに疑問に思わざるおえません。

この辺りのことについて、実際のところ群れを作る生物がどう緊急事態に対処するかと言ったところは興味深い例はいくつもあるように思います。

Youtube:人類より賢いアメーバ!?粘菌の恐るべき能力【へんないきもの#68】
Youtube:ニホンミツバチの熱殺蜂球 | ナショジオ

少なくとも緊急時に 「平時に戻った暮らしをしたい」 といったモチベーションが湧くような環境づくりは必須だと思います。 少なくとも緊急時と平時の区別がついていないタイプの方にこれは期待できないのではないのかなぁ・・・ とは思っています。

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