私の武術観とガンダムでの「重力」に対するアプローチの違い(ニュータイプとは?)
ですので、今回は「私がどのような経緯で重力の重要性に気づき、また重力に対する認識の違いでどういった世界観が構築されるか? 」と言ったところの考察をしようかと思います。 まぁその比較対象として「ニュータイプ」のような「無重力の宇宙に出て人の革新が起こる」といったようなガンダムでの解釈と比較しようかなと。
<<四心多久間四代見日流>>こちらの流派は故黒田鉄山氏の「気剣体一致の武術的身体を創る」という書籍で解説されている柔術流派です。 手元に書籍が残っていないため大半は私の記憶での記述になりますので悪しからず。
さて、こちらの流派の解説として免許だったか目録だったかまでいくと「皆坊さんのようになって護摩を炊いたりする」といった師の祖父の話が紹介されています。
この流派の「無足の受け身」の説明などを読んで、「重力の働きを神仏の力のように感じたのかもなぁ」と思ったりしましたね・・・ ほんで、「もし地球上すべてのものに等しく加護があるものを愛と規定するなら重力がそれだよな」と思ったりしたことを思い出しました。
まぁ実際のところ愛の定義はという話になると人間の範囲なら心的状態で限定しても問題なさそうですが神仏ともなると波形情報での天文情報に当たるものがまぁ妥当だよなと思ったりはします。
この著書には氏の祖父が経験した心法的なものの稽古の逸話が語られていたりで当時は・・・というか今思い出しても少しワクワクしますが・・・ 幻覚の饅頭を人に食わせるとか、馬に乗る人を気当てで落とすとか・・・こう思うと恐らく見日流に限ったことではないでしょうが、柔術がニュートン物理範囲のアプローチが段階的に波形情報を利用した繊細な技術に進んでいくようにも思えて、今になって思い出すとコレなかなか興味深いですなぁと。
そういった意味で昔日の稽古はまずは受け身だけを三年やらされたなどの話も頷けたりはします。 現代に合うかどうかはともかく。
さて、ガンダムの話との比較ですがこちらでニュータイプはジオン・ズム・ダイクンが出現を予想した宇宙に適応進化した新人類といった立ち位置のようです。
さて、私は現在は波形ネットワークの可能性について武術的体認を入口にブログで説明していたりはしますが、まぁこの観点で言わせてもらえば
「ジオン・ズム・ダイクン君も武術の稽古してみたら? もうそれ、先人が重力下で通った道也よ^^」
と軽い煽りを入れたい話ではあります。
例えば他者との感応にしても武術的視点で言えば、そこ自体に情報戦があるやも・・・と言った予想も立てられるわけです。
まぁなので、ニュータイプの対立概念としてオールドタイプがいるようですが、むしろオールドタイプのほうが・・・
結論としてせっかくだからミドルタイプって概念でも取り入れて失伝危機期間を概念化したらどうじゃろか?
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