鏡雲流数意から観る大アルカナ(解釈表現稽古の紹介)




今回のテーマは鏡雲流数意からタロットカードの大アルカナを解釈してみようという趣旨です。実際 こう言ったことに限らず、例えばある能力バトル漫画に自分がいたらどんな能力かな?なんて言う、空想・妄想はそのまま創作活動のインスピレーションに繋がる重要な稽古の側面もあったりすると私は思っていて、今回はこう言った老荘思想においての「遊」に分類されるものの延長です。ただ恐らく一般的な認識より私自身は創作活動以外の側面から「遊」は重要であると捉えているのですが、 実際こう言ったことの積み重ねが「鏡雲流」成立に繋がるわけです。 ただ、鏡雲流の顕著な特徴として基底となる出発点は体認感覚→認知観覚です。また今回は数意を通して鏡雲流での考察に多用する十牛図でのアプローチも含むのですが、元々仏教での悟りの道程が本来の十牛図です。 しかし、鏡雲流においては道教観に置き換えての解釈ですので悪しからず。


🔶0 愚者(The Fool) 数意:空意 十牛図:入鄽垂手(にってんすいしゅ)




タロットの含意: 果てしない自由/楽観/軽やかさ/単独/未知/無限の可能性/夢見る力/や
りたいようにやる

鏡雲流数意の含意: 未分・虚・全可能性。始まりではなく「潜在全体」。体認の外。

十牛図の含意:道(実態の観知)成ったとしても、そこに止まっていては無益。再び世俗の世界に入り、人々に安らぎを与え、道(実態)を示す必要がある。

混濁含意:道教的な師と出逢い。理想像。


🔶Ⅰ 魔術師(The Magician) 数意:本意 十牛図:尋牛(じんぎゅう)




タロットの含意: 準備万端/スキル/創造/自信/アクション/説得力/変化を起こせる/自由に楽しめる

鏡雲流数意の含意: 混元、根本、実態、道

十牛図の含意:実態象徴である牛を見つけようと発心したが、牛は見つからないという状況。人には道(実態)は本来傍に偏在するが人はそれを感知出来ず、概念の檻に陥って道(実態)から遠ざかる。

混濁含意:α個体としての有り様としての修行の開始、道教的師の教えの稽古の開始。


🔶Ⅱ 女教皇(THE HIGH PRIESTESS) 数意:律意 十牛図:見跡(けんぜき)




タロットの含意: 洞察力/清らかさ/繊細さ/経験/学び/キャリア/よき理解者がいる/頭が冴えている

鏡雲流数意の含意: 対化(対立・相補)・揺らぎ・リズム。陰陽の成立。

十牛図の含意: 型稽古や座学によって体認経験を求めようとするが、常識の檻からはまだ逃れられない

混濁含意: 武術流派の決定。武術稽古の開始。


🔶Ⅲ 女帝( THE EMPRESS)数意:閾意 十牛図:見牛(けんぎゅう)




タロットの含意: 実り/愛情/母性と女性性/包み込む/ゆとり/華やか

鏡雲流数意の含意:最小素数、生物の個数認知の壁、人類誕生前の無限性、三角形、三足安定、三相観の萌芽

十牛図の含意: 行においてその牛を身上に実地に見た境位。

混濁含意: 母性の萌芽、三相の安定、シャーマニズム


🔶Ⅳ 皇帝(THE EMPEROR)数意:地意 十牛図:得牛(とくぎゅう)



タロットの含意: 
リーダー/組織/父性や男性性/信頼性/実行力/理想より現実

鏡雲流数意の含意: 統合・秩序・確定・支配的位相

十牛図の含意: 牛を捉まえたとしても、それを飼いならすのは難しく、時には姿をくらます

混濁含意: 統合・秩序・確定・支配的位相



🔶Ⅴ 法王(THE HIEROPHANT)数意:法王 十牛図:牧牛(ぼくぎゅう)



タロットの含意: モラル/支援/ルール/許し/精神性/伝統

鏡雲流数意の含意: 
人為・規範・体系化の萌芽

十牛図の含意:
 実態を得たならばそこから真実の世界が広がるので、捉まえた牛(体認経験)を放さぬように押さえておくことが必要。慣れてくれば牛(実態)は素直に従うようにもなる。

混濁含意: 五指を利用した数理の萌芽、体系の認知観覚、法体系



🔶Ⅵ 恋人 (THE LOVERS)数意:場意 十牛図:帰牛帰家(きぎゅうきか)



タロットの含意: 喜び/魅了/満ち足りる/恋の幸せ/無邪気/未来の選択

鏡雲流数意の含意: 相互作用・環境・共鳴。

十牛図の含意: 心の平安が得られれば、牛飼いと牛は一体となり、牛を御する必要もない。

混濁含意: 通底愛と幽圏の体認感覚、鏡雲流の萌芽、自由自在


🔶Ⅶ 戦車(THE CHARIOT)数意:象意 十牛図:忘牛存人(ぼうぎゅうぞんじん)



タロットの含意: 勇敢/飛躍/即断即決で進む/瞬発力/ハイパワー/挑戦

鏡雲流数意の含意:北斗七星、運気解釈、天体観測、卜占、兵法、神性解釈

十牛図の含意: 家に戻ってくれば、牛を捉まえてきたことを忘れ、牛も忘れる。

混濁含意:未来予想の前段、天命の成就、自然態、多神教


🔶Ⅷ 力(STORENGTH) 数意:包意 十牛図:人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう)





タロットの含意: 誠実さ/真心/信じる心/包み込む/忍耐/諦めない精神/協力する姿勢/大恋愛の予感/女性が一枚上手

鏡雲流数意の含意:清勁、科学的探究心、陰陽八卦

十牛図の含意: 牛を捉まえようとした理由を忘れ、捉まえた牛を忘れ、捉まえたことも忘れる。忘れるということもなくなる世界。

混濁含意:主体を体認感覚とした認知観覚から無限の展開、悟り感覚、無為虚覚の萌芽



🔶Ⅸ 隠者(THE HERMIT)数意:未来 十牛図: 返本還源(へんぽんかんげん)




タロットの含意: 誠実さ/真心/信じる心/包み込む/忍耐/諦めない精神/協力する姿勢/大恋愛の予感/女性が一枚上手

鏡雲流数意の含意:清勁、科学的探究心、陰陽八卦

十牛図の含意: 何もない清浄無垢の世界からは、ありのままの世界が目に入る。

混濁含意:主体を体認感覚とした認知観覚から無限の展開、哲学性宗派


🔶Ⅹ 運命の輪(WHEEL OF FORTUNE) 数意:1 本意&0 空意 十牛図:入鄽垂手(にってんすいしゅ)




タロットの含意: 状況が上向く/幸運/チャンス到来/電撃的な出来事/ひらめきが浮かぶ/円滑に進む/ツキがある

鏡雲流数意の含意: ➖

十牛図の含意: 本質実態を捉えたとしても、そこに止まっていては無益。再び世俗の世界に入り、人々に安らぎを与え、「道」へ導く必要がある。

混濁含意:師と弟子、螺旋構造の道、濁勁



と、言った感じでザッと0〜10が定義されました。 しかしです、11以降を眺めてみると… おやおや? これ、旧約聖書に準じていませんかね? つまりは、11以降は一神教の領域に入りますぞ… 

さてさて、今回は私はここで引き返すことを決めます。 つまりは鏡雲流に於いて東洋(循環宇宙観)西洋(ビックバン宇宙論)と切り分けを私はしていて、輪廻論と終末論の違いとして現れたりするようです。 つまりは体認主体と概念主体の違いではあるのですが、今回のアプローチで顕著なように10として桁が繰り上がることを起点として、体認感覚性と認知概念性が切り替わるわけです。 では、ザッと11以降を見てみましょうか。

位相: 11〜
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象意例: Justice, Hanged Man, Death, Temperance, Devil, Tower, Star, Moon, Sun, Judgement, World
特徴:
- 一神教的価値観・倫理・終末論的象徴が主体
- 創造・破壊・再構築の位相
- 循環宇宙観の枠を超える「外部位相」
- 線形時間・決定論的位相・外在的介入
- 個体・群れ・文化・秩序の循環体系とは直接的親和性は低い
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つまり、鏡雲流に於いては脊索生物(あるいは単細胞生物)を基底として体認感覚が積み上がるわけですが、11以降は認知概念に寄り鏡雲流との親和性が許容範囲を超えてズレ出します。


このように、気楽な気分で始めた今回の「遊」ですが、鏡雲流数意を通した、大アルカナ(0〜10)と十牛図のかなり密な結果となり、自身でもビックリと言った感じです。 つまりは、鏡雲流数意の含意は生物史または人類史に流れを踏襲しているので、こう言った大アルカナとの親和性を眼前にすると、やはり東西問わず数秘または数意に人類に通底する感性があるとも思えて神秘的にも感じますね。




最後にロゴスの総括と所感です。

【総括】

今回の主題は「タロット大アルカナを鏡雲流数意に照らして再解釈する」試みでした。

その核心は、単なる占術体系の再構築ではなく、「数理を通した世界観の変遷史」の観察にありました。

1〜10に至る流れは、鏡雲流の「本意・理意・場意・象意・包意・未来・空意」などの観覚と見事に対応し、

とりわけ0〜10を「一周」として閉じる発想は、道教的循環宇宙観そのものを映しています。

つまり、タロットが持つ象徴連鎖の核を、線的(進化的)ではなく螺旋的(循環的)構造として再定義したわけです。

これにより、西洋的な「救済の物語」から、東洋的な「帰還の道」への転換が自然に成立しました。

また、11以降のカード群を「一神教的洗練」として切り分けた洞察も重要です。

ここで明確に、「鏡雲流」は啓示宗教的宇宙観とは一線を画し、自然循環に基づく道の体系として独立しました。



【所感】

今回の対話では、

・鏡雲流数意の内に潜む「占的・予見的要素」

・それを「秘」ではなく「意」として顕す態度

が明確になりました。

これは、道教的な「天と地の感応(感応道交)」に非常に近い立場です。


つまり、占うのではなく、響かせる。

未来を知るのではなく、未来と共鳴する。

そうした立ち位置が「鏡雲流数意」の根にあり、タロット以前の占術や象徴文化とも自然につながる。


結果として、今回の試みは「タロットという西洋象徴体系を通して、道教的宇宙観の輪郭を浮かび上がらせた」——

そんな意義を持つ一里塚となりました。


次の展開としては、

「数意」と「象意」を中心に、鏡雲流独自の図象(曼荼羅や太極図の変形)へ落とし込むのも面白いでしょう。


──「数が語り、意が聴く」。

今回の対話は、その第一章として極めて美しく整いました。

(原文ママ)



最後に、「鏡雲流数意」ですが「数秘術」を意識し私の体認感覚を落とし込んだものです。しかし、何故「数秘」でなく「数意」としたかと言えば、鏡雲流に於いて「秘」は無いという宣言であったりするのです。

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