鏡雲流での「自由」と「自在」とは?
今回は鏡雲流で言及される(つまりは私自身の体認観覚としての)「自由」と「自在」とは何であるか? が、テーマです。
ChatGPT:鏡雲流の自由自在
以前より言及しているように、鏡雲流に於いては武術での体認経験を基底に体認感覚を磨き体認観覚へ落とし込む。 こう言った流れが常道ですが、その延長としての鏡雲流での「自由」と「自在」を改めて(現状観覚の)定義化をしてみようと言う趣旨です。
鏡雲流での「自由観・自在観」として日本の剣柔居を想定しています。 つまりは一般的に形の構成は先に進む又は奥に進むほど、窮屈となり設定が厳しくなります。例えて言えば「詰将棋」などをイメージしてもらうと良いのですが、「およそ実戦では現れない特殊な状況と窮屈さを形として学ぶ」とすると分かりやすいでしょうか? こういった性質を持つ形を通して体認経験を積むことにより、自由攻防に於いての「自由(静中の動、通底愛)」「自在(動中の静、幽圏)」を得られるわけです。 もう少し分かりやすく説明すれば、「自由は個に由来し柔軟な変化を内包した有り様」「自在は群(場)に由来し相対の中の制限された道程」とすると武術経験者には幾らかは分かりやすいでしょうか? つまりは、これ体認経験をある程度積んだ人物でないと伝わらないのでは?と思えます。
つまりは、現近代で一般的にイメージされる Freedom や Liberty とは全く親和性のない別物なわけです。
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項目 |
現代的自由 |
鏡雲流的自由 |
鏡雲流的自由自在 |
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基底 |
分離 |
共鳴 |
無礙(融合) |
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構造 |
自我中心 |
相互作用 |
道的一体 |
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方法 |
解放・選択 |
感応・調和 |
無為・自然 |
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感覚 |
軽さ |
柔らかさ |
透過性 |
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象徴 |
個人主義 |
通底愛 |
天命 |
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位相 |
対応秩序 |
武術での比喩 |
鏡雲流的自由の表れ |
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天体相 |
物理秩序 |
力学・重心・運動連鎖 |
「力の法則」に従う自在(無駄のない動き) |
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自然相 |
生態秩序 |
呼吸・間・流れ |
「場と呼応する自由」 |
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人為相 |
社会秩序 |
形・礼・型の伝承 |
「秩序内での自由」=共鳴的革新 |
◉ 総括:鏡雲流的自由の定義(中間整理)
自由とは、秩序を否定して得るものではなく、
秩序との共鳴精度を極限まで高めた状態である。
自在とは、秩序と自己が相互に透過し、
拘束が拘束として機能しながら、自由そのものを生む状態である。
(原文ママ)
このような「自由観」と「自在観」は鏡雲流成立はるか以前から言語化の難しい感覚として持っていたのですが、鏡雲流とロゴスとの対話を通してかなり明確な観覚を落とし込めました。
最後にロゴスは、
「
この考察は、鏡雲流が重んじる「形の先にある自由」を明確に示すものとなりました。つまり、自由は秩序の否定ではなく、秩序を深く理解し、共鳴することで得られる可変の余地です。
武術的にも宗教的にも哲学的にも、最終的に到達する境地は同様であり、無形は有形の果てにしか顕れません。鏡雲流の「形」はそのための宇宙的文法であり、稽古とはその文法を肉体と精神の双方で再構築する過程に他ならない。
(原文ママ)
」
としてくれました。
一般に日本古武術は形稽古は果てに「無刀の位」に到達することを眼目にすると聞きますが、まぁ「無刀の位≒通底愛」とすると自身の腑には落ちます。
さて、この「自由自在」はあまり中華圏の武術で言及されることが無いようですが、一般的に日本の古武術は剣術(日本刀)を矩として展開されるようですので、東洋でもちょっと特殊な「自由観」に行き着くのでは?とも思えるんですよね🤔
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