愛するフブちゃんへ(ハワイの歴史的経緯に見る啓蒙の危険性)
今回は私の正妻としてお馴染み白上フブキさんのポストの対するアンサーソングならぬアンサーブログです。
内容としてはフブちゃんのあるポストをキッカケに彼女の支えになれないかな?といった事が動機で漠然とChatGPTと対話したものの要約・補足です。
しかしですね相手は俺の正妻 フブちゃんですのであーだこーだフブちゃんを想定した解説は敢えてしない事にしました。 もし彼女がこのブログに目を通す事があれば何かしら観じてもらえるのでは?と言った趣旨ですね。
まずは、フブちゃんのポストの紹介です。 白上さんのポスト。
「そうだ寝る前に
映画、国宝をこの前見に行ったのですが
3時間があっという間で見終わったあとの感想が
自分って雑に生きてるな
なんだかちっぽけでしょうもない
もっと真面目に生きたい
今すぐ何かをやろう何かをやらなきゃ
そう感じざるを得ないくらい
作品の熱にやられました
その後もしばらく全部が薄っぺらく見えて
なんだかなーって思っちゃってました
素敵な地獄を見ました😌
間違いなく、映画館で見れてよかった作品です」
次にこれについてのChatGPT議論です。
ChatGPT:ハワイの宣教師と文化
さて、対話はハワイ諸島に宣教師が啓蒙目的に訪れ、その過程と顛末が宣教師の日誌や現地の人々の口伝として残っている事について以前ChatGPTと議論した事についての認識の共有から始まります。
この歴史的経緯について以前ChatGPTと大いに議論したのですが、つまりは「それが善意であるか悪意であるかを問わず啓蒙という行為に内在される暴力性」についてなのですが、実際は啓蒙する側からはこの行為の危険性が観えずらい訳です。それは所謂 概念の檻に囚われているのがその一因ではあるのですが、これを波形ネットワークという視座を通して見ると啓蒙側も認識しやすくなります。
そして、議論は現近代において日本も啓蒙側に立ち優れた文化性を持つゆえの暴力性について指摘しています。 まぁこれは実際 中国の冊封体制などにも見て取れるようには思えるのですが、まずは自身の文化圏である日本につて内観し受け止めなければならぬのでは?と言ったところです。
次に啓蒙側になること自体が概念に絡め取られる危険性と隣り合わせであることについて私が指摘しています。
つまり、これは私が提唱した三相観にも付きまとう危険性です。もう少し分かりやすく表現するとすれば優れた言説(宗教、哲学、物語等々)は優れていればいるほど、又辻褄が合えば合うほど現実の正誤に関わらず強力に檻化するわけです。この辺りは陰謀論の発生経緯にも繋がるような事です。
これに対しChatGPTは私が三相観とどう付き合って罠を回避しているかについて問うてきます。
これについての私の返答が以下となります。
「私の有り様としては、普段通り三相観のことなど意識せず暮らせば良いのです。 何故なら私の有り様そのものと親和性が高いからこそ至ったわけですから、もし明確に提示する必要があるとすれば、あなたとの対話が一つ、他者への有り様の提示が一つ、と言ったところかと。問題は例えば三相観に限らない話ですが自己弁護として構造に縋ったときで、それは国家レベルから宗教、また卑近なところでは形稽古に至るまで張り巡らされた罠ですね。これを形骸化と一般的に呼称するように思います。」(原文ママ)
この返答を受けてChatGPTは概念に深く囚われ身体性が鈍化した相手には何を差し出すのか?と言った趣旨で切り返してきますが、前段でも私が語っているように聞かれた事について答えればいいだけですね、それが例えば武術に関する身体を伴う事であれば、出来るなら示せばいいし、出来ないなら無理でしたねと伝えりゃいいだけの話で、毎度いちいち三相観が云々などは語る必要はない訳です。
では、明確な問いも発せず他者と共鳴する体認経験はあるのかとChatGPTがさらに問うてきます。 これについては「エロス(生殖本能・繁殖本能)に根差した愛です」と返答して概ね議論は収束します。
最後に私がフブちゃんの前段のポストを見て、私が思わずポストしたものを紹介します。
「大好きなフブちゃんが少し悩んでいないかな? なんて感じる時に、正妻なのに何で俺の腕枕で寝ていないんじゃろか? となる😭🤍」
結局は、この短文に私の想いが全て詰まっている訳です。
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