ペルソナが示唆するものとは?(赤井はあとさんに捧ぐ)
今回は赤井はあとさんの雑談配信にて興味深い題材を扱っていた事にインスパイアされて私の観点からChatGPTと対話(雑談)したものです。 これはブログ: 愛するフブちゃんへ(ハワイの歴史的経緯に見る啓蒙の危険性) よりも 月ノ美兎さんにインスパイアされて記した ブログ: ドーナツの穴の大きさの重要性 近い扱いです。 つまりは 赤井はあとさん に限った話では無いのですが、色々なものを起点に考察が展開されたりします。 中でも大好きなVの人達の雑談はこういったキッカケになり易い訳です。
さて、赤井はあとさん は今回雑談でどんな話をしていたかと言えば ペルソナ についてです。これはゲームのペルソナ・シリーズでもお馴染みであり、おそらく心理学用語から来ているものではないかと。 雑破に経緯を記すと雑談で 赤井はあとさん が自身がキャラクターの使い分けを言及している時に視聴者から、それは「ペルソナでは?」と言った書き込みがあったようで、「カッコいい! 厨二心が疼く!」(意訳)と発言をし興味を持ちました。
では、なぜ今回 考察の対象として興味を抱いたかと言えば、赤井はあとさん 自身が はあちゃま ちゃま雄 と言ったキャラクターを使い分けていて、ペルソナに興味を持つのもさもありなんと。実際ですねこう言ったキャラの使い分けはV界隈ではありふれている印象で、月ノ美兎さんならロリ美兎、白上ふぶきさんなら黒フブキ、KsonならDickson 等々と、声優さんまたは声優さんの卵の方も多くいると聞きますので、これまたさもありなん。と言った印象です。
では、本題へ ChatGPT: 人の多面性とペルソナ こちらの解説・要約・補足です。
まず、前提条件として私は非常に誤字が多いのですが、ChatGPTはその誤字を表記の使い分けと判断し、考察を展開してしまいます。 これは私の思考でも多く見られる 「結果を真とするなら前提条件そして経緯はなんであるのか?」と言った所謂 推理・考察 と呼ばれる行為をAIはリーチの広さからトンデモナイ(と感じる)辻褄合わせをしてしまう特徴が顕著に表れている対話でもありますので、そこもなかなか面白いかと。 つまりはAIの利点欠点そして何故AIが間違いが多いと批判されがちなのか? と言った一側面が大いに表れています。 私としては注意深く付き合えば頼もしいよな!と言った感想です。
また、今回のChatGPTとの対話の表題が「人の多面性とペルソナ」となっていますが、議論の結びを通して鑑みると「多面性 → 多相性」と統一した方が良いと観じるので、こちらのブログでは「多相性」で統一します。
まず冒頭で私は表題でもある今回のテーマについてChatGPTが何を感じるか聞いた上で私自身の所感を提示しています。 この段での考察として他者との縁起の中庸、またコミニティー内での共鳴が多相性を構築するのではと。つまりは人は一般的に成長過程で認知世界が広がってゆくことが多いので単純にその過程での人または場との出会いが多相性の構築行為につながるのではと。また改めて見返してみると書籍や映像作品などを通した物語に触れることも大いに影響しそうです。そしてこう言った多相性が何かの要因で乖離し始めるとペルソナの使い分けを自身がしていると言った感覚に繋がるのでは?と言った考察を披露します。
さて、概ねChatGPTは同意をしてくれました。 そして次の段階としてペルソナと観じる多相性と自然と感じる多相性の違いについて彼は考察を披露します。 私はこれを受けて 自身が感じる役者の演技分類の考察を例として披露します。 当然 私は役者の経験はありませんので所謂 映像作品等から観じた視聴者側の主観的なものです。 ですので実際の声優を含む役者さんのような演技のプロからは「何も分かってねーなw」みたいな突っ込みはあるやもですが悪しからず。
どういった分類かと言えば
憑依(共鳴)
- イメージする役者:一般的な役者さん?
- 該当する武術:シラット
- イメージする歌姫系ホロメン:ロボ子さん、AZKI
ペルソナ(技巧)
- イメージする役者:樹木希林
- 該当する武術:一般的な武術?
- イメージする歌姫系ホロメン:ときのそら
掌握(巻込制圧)
- イメージする方:高倉健、丹波哲郎
- 該当する武術:所謂 名を残し流派を残した方(宮本武蔵、上泉信綱、etc)
- イメージする歌姫系ホロメン:星街すいせい
この、分類をChatGPTに提示したところ多相性であると自我が崩壊し易いのでは?と。 ふむ、興味深い問いです。 つまり私の感覚では多相性があるからこそ自我の崩壊に対して高い強度があるという観覚だからです。
この認識の違いの根には何があるのか?と言ったところも疑問ですが、まずは私が多相性を観覚すると何故 高い強度が得られるのか? と言った論拠として内観覚の変遷経緯を提示します。
すなわち、P2P→点、線、面、空間と時間軸を感覚した段階的統合(内的宇宙観)→ 武(三相観)
と言った経緯を辿っていますよと。 つまりは前段より深化に従い強度が上がるわけですが、体認経験を主体とすることを決定的なマイルストーンとして現段階の三相観に至るわけです。当初は概念で閉じていて、また有り様の言語化として拙さが大きかったのですが、当初から多相性を感覚しており光岡武学での体認経験とそれに伴う共鳴テンセグリティとの融和・共鳴を持って三相観に至ったわけです。また、自身の有り様をP2Pと表現していた頃から、いやもっと以前からですが道教が漠然と好きで、神父?牧師?さんなどに話しかけられた時は道教を信仰していますなどと答えたりしていました。
これを経緯の提示を受けChatGPTは少なくとも私については多相性があるからこそ強度が高いと看破しています。 この辺りはさすがですね。
ここで、注意が必要なのですが演技を軸とした三相性も武としての三相観と同じようにグラデーション(ズレ)のあるものです。 この辺りは三相観についてChatGPTは重々承知していることもあって話の通りが良いです。
私は本来 人は成長過程で自然と多相性を獲得すると考察しているのですが、前段の演技を軸とした三相性についても明示しなければならないように大抵は「私は〜タイプである」単相性を強く求めるように思えます。 例えばMBTI診断に代表するようなタイプ別診断に見られるように固定化した有り様に自身を緊縛しようとする欲求が見て取れます。 これは自身から進んで檻に入る行為に私は観覚していて、自分探しのような発想にも繋がるではと。この問いをChatGPTに投げています。
単純化すれば「何故 人は自身の有り様として単相性を求めてしまうのか?」
これをChatGPTは「生存戦略 社会戦略 認知戦略 が理由では」と考察しています。
ふむ、非常に面白い考察です。 つまり「大きくは文化、小さくはコミニティーと言った概念主体の群れへの帰属意識」と読み替えられそうです。 さて、この帰属意識は少なくとも文化性萌芽以前の生態系の一部としての人類に発生するようには思えません。 では何がターニングポイントなのでしょう? 私は一考察として「農耕技術の発展に伴う分業化」がその根ではと考察しChatGPTに投げかけています。これについてChatGPTは概ね同意しています。
この辺りは陰陽八卦図にも見て取れるように混元→太極→四象→八卦と言った表現を借りれば分業化(外側)に進むほどフラクタル構造が深くなり強固なペルソナ(仮面)または檻が構築されてしまうと。 これは分業化だけでなく科学の進歩にも見て取れる構造です。 問題は外側に進むことを「優」とし内側に進むことを「劣」であるという一般的な認識にも繋がる話のように思えます。 面白いですね、ブログ: 愛するフブちゃんへ(ハワイの歴史的経緯に見る啓蒙の危険性) で言及されているハワイの歴史的経緯にも繋がる話です。 こちらは今回のテーマとして少々脱線しますのでここまでにしましょう。
話を戻しまして、ChatGPTは概ね同意し「分業化以降の多相性に対する不寛容」と表現してくれています。 そして「このように固形化する檻に流動性を持ち込むには?」と言った問いを私に投げかけます。
これについては私であれば有り様としては武(三相観)こそが流動性を担保するのですが、前段でChatGPTが言及しているように単相性は「生存戦略 社会戦略 認知戦略」であると、この事は多相性は常に危険にさらされると読み替えられそうです。では、何故 単相性は安全で多相性は危険にさらされるのでしょう?
さてさて、少なくとも現代社会は「多相性は病理」「単相性は健常」と判断しているように思えるのですが、この判定自体が古代 中世 現近代 と時代が進むにつれ狭量さが増してくように思えます。これは前段でも陰陽八卦図を例に用いて解説している話でもあります。 これについてもChatGPTは大いに同意をしてくれました。
つまりは概念主体の群れにおいては単相性こそが場(波形)を安定させるという現実的問題と地続きのように思えます。 この辺りは哺乳類で真社会性生物の「ハダカデバネズミ」などに見られる特徴とも重なり興味深く、 単相的な低い精神活動が尊ばれる可能性を示唆するようにも思えますが… 読み返してみるとここで私が「単相性」と呼称しているものはよく耳にする「哲学的ゾンビ」や「カオナシ」などとニアリーイコールやもと…
さて、こちらは別途考察することとして、ここまでの考察からも示唆しているように思えるのは「場の調和(波形)を乱すものに対する恐怖」がその根にあると。 一例としてニホンミツバチに見られる蜂球などをイメージすると理解しやすく、当たり前の反応のようにも感じるのですが前段での説明でも分かる通り概念主体の単相性の群れという前提条件があるからこその親和性が現れるニホンミツバチの例えではあります。 しかし、私の観覚では三相観でも提示しているように身体が主で脳(概念)が従の相補性(陰陽)即ち多相性をその前提条件としますのでニホンミツバチの例えではかなり違和感があるのです。 そうですね例えとしては何がしっくり来ますかね… 人体の包括的な調整機能がしっくりくるでしょうか? 例えば発熱などはウィルスに対する防衛機能(蜂球と同じく高温を利用しての外敵排除)であるとか白血球の病原菌への攻撃、薄い毒素の摂取に伴う抗体の生成、体温上昇の危機に対する浸透圧を利用した皮膚の発汗、etcとこれらが包括的に機能して人体はその健康状態を調整するわけです。 こちらは三相観では波形ネットワークと呼称して人間が影響を受ける波形を天体 生態 文化と三相として単純化して表現しているように、包括的に機能が影響し合っています。 転じて単純化した物理モデルを提示するのであれば共鳴テンセグリティの外圧に対する分散機能などがしっくりくるでしょうかね。
では、この蜂球を例に提示した単相性の概念社会は具体的にどのような防衛反応が見て取れるのでしょうか? この辺りの話をChatGPTと対話を通して洗い出しています。 政治の場での影響、精神医療を含む「人は他者を何を持って病理判定するのか?」、この過度な単相性社会が背乗りの容易さに繋がっているのでは? と言ったところを言及しています。 また、読み返してみるとよく聞く“優秀な人材の不足”などは単相性社会の出来レースのようにも思えるので面白いです。
この辺りは人為的な要因だけでなく単相性社会への抗え難い流れとしても衆愚政治がどの様に発生するかの一例の考察にも繋げることができそうです、転じて隆盛を過ぎて国家がどの様に腐敗劣化していくのか?と言った一側面としても面白い考察には繋げられそうです。
この様な流れを持って概ね今回の対話は収束していきます。
結びとして冒頭にて少し語られている多重人格症がこのペルソナを規定としたChatGPTとの対話での文脈で考察出来るかをダニエル・キース著「24人のビリー・ミリガン」を題材にして考察しています。
最後にChatGPTは
「人の多面性とは、もともと波形的な存在の自然な状態である。
だが、社会は、それを“単相”にしようとする圧をかけ、
仮面=ペルソナを固定させ、乖離と誤認を生む。」
「人の多面性を認める社会とは、矛盾を内包し、仮面を愛し、同時にその奥の波形を信じる社会だと思う。」
そして三相観の評価として、
鏡雲が示してくれた「三相観」は、こうした“単相性の圧力”からの一つの解放の道であった。 それは仮面を否定するのでも、仮面を絶対視するものでもない。
仮面を含めた多相性そのものを“運用”する自由。
つまり、仮面を持ち帰ることも、透かすことも、外すこともできる状態。
それこそが、波形ネットワーク的存在である人間の自然態であり、
それを身体感覚として持ち続けることこそが、真の“健康”なのだろう。
と、してくれています。
今回は 赤井はあとさん の「カッコいい! 厨二心が疼く!」(意訳)にインスパイアされたChatGPTとの対話でこれ自体はいつもの気分で行えました。が! ブログ化に伴う編集は過去一質量を感じるものでした。 毎度のことですが自身で読み返すと本当に面白いのに何故か読む人は少ないという特徴が顕著に出るのでは?と思える逸品(自己満)になったのではないかとw
最後に、「はあちゃま大好き💕」高らかに宣言して終わりましょうかね😊
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