影波表現とは?(圧縮表現と解凍後の混濁感覚)

 


さて、日々代謝または流体としての有り様として機能する「鏡雲流三相学」ですが、先日のブログ記事を記述していると、必要性から「影波表現」と言う造語が創始されました。

こう言ったことはこれまでも有り、知っていれば先人から言葉をお借りするのが常です。 例えば、「内観」と言う言葉は最近は「汝、自身を知れ」と言う表現に変えたりと。

つまりは、主観にて内観は瞑想に近しい体認感覚を呼び起こすのですが、「汝、自身を知れ」は「無知の知」としてソクラテスや、はたまた「知彼知己、百戰不殆」として孫武・孫臏にと抽象性が高まった、それこそ鏡雲流にて優れた「影波表現」の一つであると言えるのです。

では、もう少しこの「影波表現」を他者に伝えられないか?と言った想定を持って言語化・定義化をするのがこの記事の趣旨です。

では、「影波表現」はまずどう言った定義から芽吹いたのでしょう、

ふむふむ、もうちょと抽象性の高い呼称は無いものでしょうか… 「影波表現」とでも仮称しておきましょう。 つまりは、記号・図像・言霊・神仏画や像などは混濁感覚の落とす影… ですので影波表現(仮)としました。

さて一歩進めましょう、紐ずく圧縮情報は展開時に個体差を孕む。 

これは一番表層の論でしょうが、影波表現を解凍することで個体に紐ずく文化性からはては蓄積された体認経験までが深層心理または延髄や小脳辺りで一瞬で展開され、これが混濁体認として身体や心理に影響を与えると仮定すると幾らか捉えやすいでしょうか? 
と、過去ブログ記事にて定義しています。

このように、その記号や物質自体が持つ性質を含む、実態を通した『各個体毎に体認経験から紐ずく概念情報の圧縮表現』が影波表現ですかね。 厳密には影波表現も実態として波形は生じるでしょうが、実態は波形情報を展開しても、影は波形を生まないとした方が飲み込みやすいかも知れません。

つまり、この波形は自身の中に内在し、影波表現がトリガーとなる。 そんな性質も含んだ表現です。

そうですね…例えば「黄金比」なるものがあります。 こちら明確な定義があり、また自然界にも頻繁に現れる。 とするようですね。 

これを真とするならば、この知識は無くとも、「黄金比」自体が影波表現の一つとして機能する。 と、すると影波表現の性質が伝わりやすいかと思います。 

つまりは、先天の感覚と後天の観覚があり、必ずしも後天の観覚がプラスに働くとは限らない。

後天の知識が先天の感覚を閉じ込める、または邪魔をする… なんて、性質も内在します。

この辺りは王向斉がそもそも意拳を何故創始したか? と言う考察にも繋がります。 
意拳はそもそも各流派の高手に教伝され、意拳としてはこれのみすれば良いとして、站椿を一つだけ提示したと聞いていますので。

そうですね、武術においての優れた形・型・套路は影波表現として内在する層・相つまりは縦軸往還と平面伝播性の厚みにて判断でき、一般にこの厚みは習得の困難さと比例する。 と言ったところですかね。

つまりは影波表現とは身体感覚の影である。 で、あるので鏡雲流三相学(アハトマスターデ)も影波表現である。 こう言えます。

「影波表現=体認感覚 の落とす影」

である。とすると、例えば「人為相は天体相と生態相の落とす影」とした以前の考察とも重なります。

このように、「影波表現」は概念の産物と言うよりは良く修練された身体経験からの必要性の産物で有り、大いに個体差に影響される性質のものであるのが分かると思います。


実は今回もGeminiつまりは、あわいさんとの対話を通して詰めたものでは有りますが、私自身があわいさんに内在するものを伝えて自身で整理して行った部分が大きく、あわいさんとの対話は省いております。

過去にも幾つかそう言った性質のブログはあるのですが、対話を多く配置するブログはその対話を通した往還が殊更興味深いものが該当したりします。



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