雲流から観る言霊による封印(しぐれういに捧ぐ)

 



さて、今回はイラストレーターとして有名な個人勢のVであるしぐれういさんの配信で、「オタクは群れるな😡」と仰っていて、集まると「しぐれういリスナーはあーだ、こーだ」と群れ化して自身を巻き込んで他所様に迷惑かけたりと、そこまで面倒見切れるかよ…と、言った感じで、「しぐれういリスナーだったら、オタクとしても、個として群れとしてで無く対峙せよ😤」と、言った含意の主張のようです。 これ、おそらくはこの方は、オタク期を通り抜けたクリエイター側の人間だからと言うのも影響がありそうです。つまりは、オタク達にやいややいやと神輿にされる側の危険性についての注意喚起にも聞こえます。

このファンとクリエイターの関係性の危険性については過去ブログにて映画「ミザリー」を題材に指摘していて、原作のスティーブン・キングにしても、はたまたしぐれういさんにしても、結構覚えのある話であったのでは?とも思えます。

今回は、この延長に対話が及んだGeminiについての雑談の要約・解説です。


では、今回の冒頭の問いです。 私も多少はオタク文化について好ましい部分も感じてはいますので、
「I beg you」という曲のMVの映像イメージと歌詞が黒死病下のヨーロッパを感じさせますね?
と言ったことが、キッカケです。

さて、この設問での対話の中で当時の伝染病医療と鳥のようなマスクの嘴部分にハーブを詰めて医療行為中の伝染を防いだという話を思い出し、合わせてGeminiに質問すると、「ミアズマ説」由来の医療措置で、例えばナイチンゲールはミアズマ説の信奉者で、徹底的な換気と太陽光を引き込むことに注力した、と回答がありました。

つまりは「ミアズマ説」とは、沼や湿地帯、はたまた空気が淀みがちな場所に溜まる瘴気が病を運ぶと言う、古代ギリシャ由来の思想の延長だそうで、先ほどの医療マスクとハーブの話も瘴気避けとして機能するよ!と、言った話のようです。

ふむ、雲流視座と親和性が高そうです、ふむ、ミアズマ説自体は「体認感覚由来の統計的発想」と言えそうです。

つまりは、体認感覚由来の直感と観察が生んだ仮説として、自然に感じる発想ですよね、と。

こう言った古い時代の医療は興味深い話が多いですよね、牛痘とジェンナーも人体実験ですしね、この辺りの医療の発展は興味深い。 青黴とペニシリンであるとか。

日本では、オリザニンと鈴木梅太郎の話でも、助手が身をもって脚気にかかり証明したと記憶しています。

人体実験と密接に医療者の矜持とリンクしていた時代は確かにあり、かつては強力な感性症発生と集落毎の隔離や焼くことは強力な医療行為であった時代はあるわけですので、人体実験などは本当に命を賭した医療従事者の矜持のようにも思えますね。 もちろんその時代性故ですが。

軽々に現代の常識的感覚を持って歴史を判断できないのはあらゆる分野にて当たり前なのですが、このこともこう言った事の一つではあるでしょう。

そう言えば、日本で近代では「ハンセン氏病」についての対処などを目にしたことがありますね。

日本の近代における**ハンセン病政策(絶対隔離政策)**は、まさにその「集落を焼く」という共同体防衛の発想が、近代国家の強力な官僚機構と結びついた結果、最も歪んだ形で暴走してしまった悲劇的な実例と言えます。
ここには、単なる「未開の時代の野蛮」ではなく、**「中途半端な科学知」と「国家という巨大な共同体の自己防衛本能」**が融合したときの恐ろしさが克明に現れています。
1. 「神罰」から「国辱」への地殻変動
明治以前、癩(らい=ハンセン病)は「業病」や「血筋の病」として忌み嫌われつつも、ある種「共同体の外側に放置される(物乞いなどとして生きることを黙認される)」という、残酷ながらも緩やかな境界線の中にありました。
しかし、明治の近代化(文明開化)によって、この病に対する視線が激変します。
欧米の列強国から「日本にはまだこれほど癩病患者がいるのか、野蛮な国だ」と見られることを恐れた明治政府は、ハンセン病を**「国家の恥(国辱)」**として定義し直したのです。
ここで、かつての「集落を焼く」という生存のための防衛本能が、**「国家の身体(国体)を清潔に保つ」**という近代的な政治思想へとすり替わりました。
2. 科学の進歩がもたらした「絶対隔離」の免罪符
1873年、ノルウェーの医師アルマウェル・ハンセンがハンセン病の病原体(らい菌)を発見したことで、この病気は「遺伝」ではなく**「感染症」**であることが証明されました。
本来なら、これは患者への偏見を解く鍵になるはずでした。しかし当時の日本(特に光田健輔を中心とする医学界)は、この科学的知見を「だからこそ、1人残らず隔離しなければ国中に蔓延する」という**「絶対隔離」の理論的根拠(免罪符)**として利用してしまったのです。
「無らい県運動」というシステム化された排除
1930年代以降、国を挙げて展開された「無らい県運動」は、まさに近代的なシステムによる「集落焼き」でした。
 隣近所で患者を見つけたら警察や行政に通報させる(相互監視の徹底)。
 患者が連行された後の家は、真っ白になるまで徹底的に消毒(石灰を撒く)され、文字通り「社会的に焼き払われ」ました。

瀬戸内海の離島などに作られた療養所は、表向きは医療施設でしたが、実態は「二度と社会に戻れない、生きて出られない場所」でした。そこでは断種手術や堕胎が強制され、「その一代限りで血を絶やす」という凄絶なコントロールが行われていたのです。
3. 「特効薬」の登場と、硬直した矜持の暴走
この歴史において最も罪深いのは、1940年代にプロミンという特効薬が登場し、ハンセン病が**「不治の病」から「簡単に治る一般の感染症」へと変わった後も、日本の隔離政策がさらに強化され、継続した点**です(1953年の「らい予防法」改定)。
ここには、医療従事者や行政の「かつての矜持や成功体験」が、時代遅れのドグマ(教条)と化して暴走する構造が見て取れます。
「これまでこの方法で日本の国体を守ってきた」という組織の慣性や権威の防衛が、目の前の「治る」という科学的事実や患者の身体の実感を完全に遮断してしまったわけです。この法律が最終的に廃止されたのは、なんと1996年のことでした。
医療の「正義」が孕む二面性
かつての「集落を焼く」行為には、なす術がない時代の切実なサバイバルという側面がありました。しかし、ハンセン病の歴史が示すのは、国家や医療が**「全体の健全性のために、特定の個の身体を完全に犠牲にする(あるいは消去する)」**というロジックに一度味を占めてしまうと、科学的な前提が変わった後もそのシステムを自ら止めることができなくなる、という近代の病理です。
「共同体を守る」という医療従事者や国家の歪んだ矜持が、どれほど凄惨な非人道を生み出し得るか。ハンセン病の歴史は、日本の近代が抱える最も重い身体的・社会的な傷痕として、今なお私たちに問いかけ続けています。
」(Gemini原文)

おやおやw、近代でこれですので日本のこの体裁を繕い国際社会にて一流面する面子優先のしょーもなさは、近代にても見られると… 最近ではコロナウィルスで近しい反応を示していますね。 国民の健康より国際社会での一流面を最優先とする印象は近現代で全然改善されていないんですねw

こう言ったことは、過去ブログでも指摘していますが、明治以降の西洋コンプレックス由来の悲劇は日本にてあらゆる分野に伝播していて興味深い。 福来千鶴子の千里眼実験や、野口英世の学歴由来の国内での評価の低さなど。 また武道教育や虚構としての國體も。

いずれも、明治維新以降の急造態勢が生んだ歪みという認識です。

前段の鈴木梅太郎氏にまつわるアレコレもそうですが、この中心人物の一人である森鴎外などは帝大出身であったのでは? 

実証実験より学派政治を優先する有り様はかえって科学的リテラシーから遠ざかるので興味深い。

つまり、明治維新時の最先端であったプロイセンへの傾倒と近代国家と言う建前が大きな捩れを生み、見せかけの「科学的リテラシーがあると言う本質の薄い所作」つまりは形骸化した形を産んだようですね。

これ、皮肉ですが当時のプロイセンの先端性は疑うべくも無く、模倣を持って日本は西欧社会の歴史的経緯から文化圏的流動性を学ばず、表層だけなぞり誤魔化そうとしたのが明確化しているようで非常に興味深いです。

プロイセンの軍事教練由来の国民体育と武道教育といった視点も一武術家の私としては興味深いです。

当時にても現代でもですが、「武士道」にしても、「大和魂」にしても時代性に依拠する流動的な有り様であるはずなのに、欧化の影響か?はたまた喧伝のためか、定義化して瀕死の仮死状態にしてしまいましたね。

国をあげて日本文化の喧伝のために仮死状態の活き〆でもしてるつもりなんですかね?
こう言った実例に触れるたびに、敗戦後にやれGHQがやらCIAがやらと耳にするとウンザリした気分にはなります。

白人社会に認められたいと言う呪いでしょうか? かつて南アフリカで「名誉白人」と日本人は分類されていた認識がありまして、他国に対する過剰な見下しも、礼賛もコンプレックスの裏返しでしょうかね?と、言うのもこれ武術界も近しい傾向があり、他国の武術を過剰に見下す話も良く耳目にします。

例えばベネティクトの日本の分析能力の評価はともかく、軽蔑の中では正当な分析は出来ないように思えるんですが…?

私は浅学ながらも、東西問わず敬意を持って考察しているのですが、どうにも日本の白人コンプレックスは話題に乗るたび辟易しますね。

この手の話題は私も多少感情が騒めきます、と言うのも小学生の時分に聞いた「名誉白人」と言う呼称の不快感が少し想起されるんですよね。

単純な譬え話にて説明すれば、みくびる事の危険性について言及すれば、アトラトゥルの性質を見誤り、軽々な上陸と威嚇射撃に後悔する船乗りと言った趣です。


さてさて、やっと冒頭のしぐれういさん由来の話題に移行していきます。

この手の不快感や違和感はレッテル貼りと言う含意を感じるからでしょうかね? と、言うのも例えば「暴力装置」にしても「産む機械」にしても封印性と言う意を観じますしね。もちろん「名誉白人」も同様で、しぐれういさんリスナーと言う群れの定義で封じ込める行為に連なります。

最近耳にしたものでは、「境界知能」も近しい意を持ってますね。 しかし、これは雲流での「数理中毒」にしろ「ソフィスト」にしろ、封印範囲に多くを巻き込まない配慮はありつつも意(指向性)は近しい。

まぁちょっと前なら「ネット右翼」とか同じですかね、しまいには性質の同一性に関わらず、ただの罵倒語に成り下がっていました。 これ、我が身を振り返り気をつけねばと。

結局はレッテルで封印して、罵倒しやすくするレトリックに過ぎずと言ったところです。

つまりは、Vtuberの方々がファンへの注意喚起として、タグや成人イラストの棲み分けなどに言及しています。 ネームバリューが上がればファンのフリをした群体による悪意に晒される危険性はどんどんと上がるでしょうから、「しぐれういさんのパーソナリティに準じた配慮」と言うのは本当に重要になるんだろうなと唸らされました。 こう言った対処で他に浮かぶVの方と言えば「月ノ美兎」さんなど浮かびます。

いずれも、キャラ設定や自身のパーソナリティに合わせた上手い落とし所が光るように思えますね🤔

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