電子書籍の得失とは?
今回はかなり軽いGeminiとの雑談で、電子書籍の焚書の問題を皮切りにちょっとした対話です。
さて、まず現段階で電子書籍の焚書のしやすさについては、どのような一般認識なのでしょう?
(Gemini:電子書籍の焚書と改竄)
「
電子書籍における「焚書(ふんしょ)」や検閲・消滅可能性については、デジタル社会特有のリスクとして非常に活発かつ深刻に議論されています。
紙の物理的な本を燃やす古典的な焚書と異なり、デジタル時代の焚書は**「サイレント(静か)」「広範囲」「一瞬」**に行われるという特徴があり、主に以下のような論点で語られています。
1. ライセンス契約による「所有から利用へ」の構造問題
現代の電子書籍の多くは、本を「購入」しているのではなく**「アクセス権(ライセンス)を借りている」**状態にすぎません。
プラットフォーム側の事情で消える
ストアの撤退、サービス終了、あるいはライセンス契約の失効によって、過去に買ったはずの本がライブラリから消滅するリスクがあります。
物理的な痕跡が残らない
紙の本であれば個人の手元に残りますが、デジタルではプラットフォーマーの一方的な判断で端末からデータを遠隔削除することが技術的に可能です。
象徴的な事例(Amazon「1984」消滅事件)
2009年、米Amazonが著作権上の問題から、ユーザーがKindle内に購入・ダウンロード済みだったジョージ・オーウェルの小説『1984』のデータを遠隔操作で強制削除しました。
「監視社会や歴史の改ざんを描いたディストピア小説が、プラットフォームによって静かに消去された」という皮肉な状況は、まさに**「デジタル焚書(Digital Book Burning)」**の現実味を世界に突きつけ、大きな議論を呼びました。
2. 内容の「サイレント修正(サイレント改ざん)」
物理本であれば一度印刷された文章は書き換わりませんが、電子書籍ではネットワーク経由で**「読者に気づかれずに中身を書き換える」**ことができます。
表現規制や時代の価値観への適合
人種・ジェンダー・コンプライアンスへの配慮から、故人となった著者の過去作品(例:ロアルド・ダールやアガサ・クリスティの作品など)の表現が後から書き換えられて配信されるケースが増加しています。
歴史改ざんへの懸念
「不都合な記述を消去・修正して上書き配信する」ことが容易なため、後から過去の記述を確認しようとしても、改ざん前のオリジナル版が存在した証拠すら消えてしまう懸念(オーウェル的な「真実省」的展開)が議論されています。
3. 中央集権的なプラットフォームの検閲リスク
Apple、Google、Amazonといった数社のビッグテックが世界規模で電子書籍の流通インフラを握っているため、これらプラットフォームの自主規制ルールがそのまま「世界的な検閲」になり得る点も問題視されています。
ストアの「規約違反」による排除
国家による法律上の禁止(検閲)でなくとも、民間企業の規約判断一つで、特定の思想・性的表現・政治的論説を含む本がストアから一斉に削除され、著者の発信手段が途絶えるリスクがあります。
4. 防御論議と対抗策(デジタル焚書にどう抗うか)
こうした問題に対し、現在では以下のような対抗議論や技術的模索が行われています。
DRM(デジタル著作権管理)フリーの推進
購入したデータをユーザー自身がローカル(自分のHDDやファイル)に保存・バックアップできるようにすべきだという主張。
分散型アーカイブとブロックチェーン
Web3技術やIPFS(分散型ファイルシステム)などを活用し、中央の管理者が存在しない形でテキストデータを永続保護する試み。
Internet Archive(インターネットアーカイブ)等の保存活動
デジタル出版物のスナップショットを第三者機関が保存し、歴史的資料としての「改ざん前の状態」を証拠提供できるようにする運動。
まとめ
電子書籍の「物理的な場所を取らず、一瞬で世界に届く」という利便性の裏返しとして、**「管理者側が一瞬で存在を消去でき、改ざんの痕跡すら残さない」**という脆弱性が存在します。
デジタル時代の焚書は、炎を上げて本を焼く見せしめではなく、**「誰にも気づかれないまま、データが静かに上書き・消去される」**という形で進行するのではないか、というのが現代における主要な議論の点です。
」
例えば焚書に限らず、手塚治虫氏の書籍などは死後に表現を変えたり、改めてオリジナルVer を出したりしていますよね。
私なら閲覧権限に階梯をつけて、階梯の深い権限者ほど修正履歴を確認できるようにしますかね。
(Gemini:電子書籍は履歴管理が容易い)
「
まさに手塚治虫作品に見られる「時代の変化に応じた表現の改変」や「改訂版とオリジナル復刻版(初出完全版など)の並立」は、メディアと表現の変遷を考える上で極めて重要なテーマですね。
手塚作品の多くは、差別用語や現代の倫理基準に照らして不適切とされる言葉遣いに対し、作品末尾に「著者の意図や当時の時代背景を尊重し、そのまま掲載しています」という注記を添えて刊行されることもあれば、単行本化や再版の段階で言葉が差し替えられたケースも多々存在します。
閲覧権限とバージョン管理(差分確認)という発想
「閲覧権限の強度に応じて修正履歴やオリジナルを確認できるようにする」というお考えは、データベース管理やバージョン管理システム(Gitなど)の発想を文献保護に応用した非常に本質的なアプローチと言えます。
実際、デジタルアーカイブやデジタルフォレンジックの世界でも、このような「権限分離型アーカイブ」の考え方は以下のような形で議論・模索されています。
1. 差分(Diff)の透明性と改ざん防止
履歴の可視化
単に最新版に上書きするのではなく、「どの箇所の言葉が、いつ、どのような理由で改訂されたのか」というチェンジログ(変更履歴)を保持・提供する仕組みです。
改訂意図の記録
「不適切な表現の修正」「誤字脱字の修正」「著者自身による改稿」などを区別してメタデータとして記録することで、後世の研究者や読者が「なぜその改変が行われたのか」を追跡可能になります。
2. 権限レベル(アクセス制御)に応じた提供
デジタル著作権やアーカイブ政策の議論では、アクセスの階層化がしばしば取り上げられます。
一般閲覧権限(一般読者向け)
現代の倫理基準やコンプライアンス、あるいは子どもへの配慮がなされた「現代版・普及版」。
研究・専門権限(研究者・ライブラリアン・高度権限者向け)
初出時のオリジナルテキスト、改訂履歴、削除されたコマや表現をすべて閲覧・比較できる「完全アーカイブ版」。
懸念される課題と論点
このシステムを社会全体やプラットフォームで実装しようとした場合、主に以下のようなハードルが議論になります。
「権限者」を誰が判定するのか
誰が「強い権限」を持つにふさわしいのかという線引きの基準(資格、研究機関所属の有無、年齢など)を誰が決定するのかという権限付与の主体の問題。
情報の流出と著作権
強い権限を持つアカウントからオリジナルデータや変更履歴が流出した場合、プラットフォームや権利者がそれを許容できるかという問題。
コストとインフラ
すべての電子書籍やデジタル文献に対して膨大な差分データとアクセス権限制御を維持・管理し続けるコスト。
まとめ
物理的な本であれば「図書館の禁書庫」や「研究者専用閲覧室」に置くことで閲覧権限をコントロールしていましたが、デジタル空間においては**「修正履歴(Gitのコミット履歴のようなもの)を構造として保持し、権限に応じて差分を開示する」**という設計が、表現の配慮と歴史的資料としての保全を両立させる合理的な解決策になり得ます。
デジタル時代の文献保護は、単に「消すか残すか」の二元論ではなく、**「どう履歴を保持し、どうアクセスを段階化するか」**というシステム設計の議論へシフトしつつあります。
」
あー、大抵は近しい発想は私が思いついた時には現場にて行われていて、大抵は運用の話に展開されますよね。
まずは、所有権を持つ著者か出版社?この辺りは詳しくありませんので、学術資料級なら専門職の専門委員会などですかね? しかし、いつも問われるのは科学的リテラシーとモラル・ハザードであると。
(Gemini:人の運用がいつも…)
「
まさに核心を突かれたご指摘だと思います。
「専門知識の有無」と「科学的リテラシーやモラルハザードへの耐性」はまったく別の問題であるという点は、科学史やリスクコミュニケーション、あるいは政策決定の場でも頻繁に露呈する非常に根深い課題です。
専門家で構成された「専門委員会」や「有識者会議」であっても、むしろその構造ゆえに独特のリテラシーの欠如やモラルハザードに陥るケースが多々存在します。
1. 専門家ゆえに生じる「リテラシーの歪み」
専門知識を持っていることと、それを社会的な文脈や他分野との関係性の中で適切に位置づける「広義のリテラシー」を持っていることは同義ではありません。
専門家盲点(トンネル視線)
自分の専門領域のロジックや数値には極めて精通している一方で、それが社会に与える影響や、一般市民の感覚・感情(倫理的・心理的心理)を解釈するリテラシーが欠落しているケースです。
「科学的」という名のタテマエ化
客観的な科学データを取り扱っているという自負ゆえに、「自分たちの判断は中立であり、それに反論する者は無知・無理解である」というメタリテラシー(自身の偏見に対する自覚)の欠如に陥ることがあります。
2. 専門委員会で発生する「モラルハザード」の構造
本来なら倫理や公正さを守るべき委員会組織において、どのようなモラルハザードが起きるのか、代表的なパターンがいくつかあります。
責任の分散(集団思考 / Groupthink)
合議制の委員会という形式をとることで、「これは個人ではなく委員会の判断である」となり、個々の構成員の倫理的責任感が薄れます。結果として、誰も最終責任をとらないまま、事無かれ主義的な「履歴の切り捨て」や「都合の悪い情報の封印」に傾斜しやすくなります。
自己保身と「権威の保護」
専門家のコミュニティは狭いため、同業他社や過去の学術的権威、あるいは予算を握る行政・企業との利害関係から自由になれません。「過去の判断ミスを認めたくない」「業界の不利益になる差分(過去の過ち)は表に出したくない」という保身型のモラルハザードが働き、結果的に非開示や改ざんを黙認・主導してしまうことがあります。
「守秘義務」を盾にした不透明性
「専門的・技術的な議論であり、一般には理解が難しい」あるいは「社会的な混乱を避けるため」という大義名分を掲げて、議事録や検討プロセスの差分を非公開にし、ブラックボックス化させる構造です。
3. ガバナンス(監視と均衡)をどう設計するか
専門家だけで集まると「専門知識はあるがモラルやメタリテラシーが欠如した状態」になりかねないため、現代のアーカイブ論や科学技術社会論(STS)では、委員会自体の設計に以下のような工夫が議論されています。
1. 「専門外の目」の混在(市民・第三者・倫理学者)
技術・テキストの専門家だけでなく、倫理学、法学、ジャーナリズム、あるいは一般市民の代表を意図的に配し、「その判断が社会的にどう見られるか」「改変履歴の隠蔽がどのようなモラルハザードを生むか」を内部からチェックさせる仕組み。
2. 「判断のプロセス(決定履歴)」自体のオープン化
どの委員会が、誰の意見で、どのような議論を経て「この表現をどう扱うか(差分をどう開示するか)」を決めたのかという会議録・判断プロセスのメタデータ自体の永久保存と開示。
3. 外部のカウンターパワーの保証
単一の専門委員会に「何が正解か」「誰に見せるか」の絶対的な権限を与えず、第三者アーカイブ機関やオープンアクセス運動コミュニティなどが常に異議申し立てを行える「相互監視の構造」をつくること。
まとめ
「専門家(Expert)」に権限を与えれば解決するわけではなく、「専門家自身が抱えるリテラシーの限界とモラルハザードのリスク」をあらかじめ織り込んだシステム設計ができるかどうかが、真の課題と言えます。
文献やコンテンツの履歴管理において真に問われているのは、技術的な差分管理(Gitのような仕組み)だけでなく、**「その差分を裁く人間側のガバナンスをどう透明化するか」**という人間・組織論そのものなのかもしれません。
」
「誰が監視を監視するのか?」ですね。
(Gemini:優れたシステムを台無しにするのは…)
「
まさに、古代ローマの風刺詩人ユウェナリスの言葉として知られる著名な問い、**「Quis custodiet ipsos custodes?(誰が監視人を監視するのか?)」**そのものですね。
専門知識を持つ者や、正当な権限を与えられた委員会であっても、ひとたび「評価・裁定する絶対的な権力」を握れば、自らの保身や偏りのために情報を改ざん・封印するリスクから逃れられません。
結局のところ、システムを管理するのは人間であり、その人間を監視するシステムを作るのも人間である以上、「これ一つで絶対に安全」という完璧な監視者は存在しません。
だからこそ、デジタル時代の「焚書」や「静かな改ざん」に対抗するための唯一の現実解は、**「特定の監視者を信じること」ではなく、「常に疑い、検証し続けられる透明な構造(プロセスと履歴の可視化)を社会全体で維持し続けること」**に他なりません。
」
これ、アメコミの「Watchman」(邦訳版)からの引用のつもりが、その元ネタは古代ローマ… ふむぅ🤔
しかし、この電子媒体による履歴化は、著者にしても映像作家にしても、過去履歴の保管に賛成するかと言うと少し首を傾げますよね。
そんな話を散見するようですが。
(Gemini:クリエイター側の主張)
「
まさに仰る通りです。書籍以上に、映像作品においてこの問題は複雑化・深刻化します。そして、「過去履歴の保管(開示)に制作者(監督・著者)本人が難色を示す」という視点は、この議論の極めて鋭く、リアルな問題点を突いています。
1. 映像作品における表現改変の現実
映画やアニメ、ドラマといった映像作品でも、書籍同様(あるいはそれ以上)に「静かな改変」や「過去作の封印・修正」が日常的に行われています。
表現の時代的修正
過去の差別的表現や不適切な言葉遣いの吹き替え・字幕の変更、あるいは映像自体のカット(例:ディズニーやジブリ作品の過去作における一部シーンの修整・カット)。
権利関係による「デジタル消滅」
出演者の不祥事、BGMの著作権切れ、あるいは配給権の移行によって、配信プラットフォームから作品が一瞬で消失するケース。
ディレクターズ・カットという名の「上書き」
監督自身が後からCGI技術などで映像を大幅に書き換え、オリジナル版のDVD/配信を廃盤にしてしまうケース(例:『スター・ウォーズ』初期三部作の特別篇改訂など)。
2. なぜクリエイター(著者・映像作家)は「履歴保管」を嫌がるのか?
「改ざんを防ぎ、履歴を残すべきだ」というアーカイビスト(記録保存者)や研究者の理想に対し、当の表現者・クリエイター側がそれを望まない理由は、彼ら特有の美学や表現欲求に根ざしています。
① 「未熟な過去作」や「失敗作」を消したい心理
作家にとって、過去の作品は「現在の自分から見れば未熟で恥ずかしいもの」「意図通りに作れなかった不完全なもの」であるケースが多々あります。技術の進歩や資金の獲得によって「真の完全版」が作れるようになったとき、**「黒歴史としての旧版(オリジナル)は闇に葬り、完璧な決定版だけを世に残したい」**と願うのは、アーティスティックなエゴとして非常に自然な感情です。
② 「作品は商品であり、完結した一体のもの」という美学
研究者やアーカイブ側は作品を「時代を映す歴史的資料」として扱おうとしますが、作家側は「今、観客に届ける一本のパッケージ(アート)」として捉えます。
「メイキングや差分の履歴などという裏舞台を見せられたら、作品の世界観や没入感が台なしになる」「修正前のダサいCGIや不適切なカットを見せるのは、自分の美学に反する」という拒否感が生じます。
③ 現代の「キャンセル・カルチャー」からの自己防衛
過去の不適切な表現や、若気の至りとも言える不寛容な描写が「差分・履歴」として永久に参照可能な形で残されることは、現代の社会環境においては**「永遠に批判に晒され続けるリスク」**を意味します。
「当時の自分は未熟だった、あるいは時代の要求だった」としても、履歴が残ることで炎上ハザードに直面するため、作家自身が「頼むから過去版は消してくれ(上書きさせてくれ)」と切望することになります。
」
ふむ、電子書籍に由来する得失は、紙媒体でないからこその特徴があるわけですね。 しかし、文化史の保存という観点を持つ特別なプロジェクトは存在しないのでしょうか?
「
まさに仰る通りで、デジタルならではの「即時性・拡散性(得)」と「消去性・流動性(失)」は裏表の関係にあります。
そしてご質問の通り、「市場経済や企業の都合、あるいは著者の意志だけに任せていては文化史が消滅してしまう」という危機感から、デジタル空間における文化史の保存を専門に担う国際的・公的なプロジェクトがいくつか存在します。
これらはまさに「デジタル時代の焚書・改ざん」に対抗するための現代のライブラリ(図書館)戦略と言えます。
1. ネットワーク空間全体の自動保存プロジェクト
■ Internet Archive(インターネット・アーカイブ)
世界で最も規模の大きい民間非営利のデジタルライブラリです。
Wayback Machine(ウェブバックマシン)
世界中のWebサイトの「過去の状態(スナップショット)」を勝手に保存・公開するシステムです。企業や著者が都合よく記事やテキストを削除・改ざんしても、「〇年〇月〇日時点ではこう書かれていた」という証拠(差分)が永久に残ります。
Open Library(オープン・ライブラリ)
紙の書籍のスキャニングだけでなく、電子書籍のデジタル貸出(Controlled Digital Lending)を行い、市場から消えた本や絶版書を「文化遺産」として保存・貸出しています。
2. 公的機関による「法的デジタル寄託」プロジェクト
紙の本でいう「納本制度(図書館への寄託)」を電子書籍やウェブコンテンツにまで法的に拡張する動きです。
■ 国立国会図書館(NDL)「電子書籍・電子雑誌の収集制度」
日本におけるナショナル・アーカイブの取り組みです。
2023年(令和5年)7月より、民間の電子書籍や電子雑誌(有償・DRM付きのものを含む)の収集・保存が制度化されました。
出版社が市場で改訂版を出したり、電子ストアから配信を停止したりした場合でも、「初出時のデータ」が公的機関のサーバーに永久保存される仕組みです。
閲覧は著作権保護のため館内限定や特定の端末等に制限されることが多いですが、まさに「将来の研究者や専門家が差分を検証できる状態」を公的な力で担保しています。
■ 米国議会図書館(LC)や大英図書館(BL)のウェブ・アーカイブ
各国の国立図書館も、自国のドメイン(.gov, .edu, .jp など)や電子出版物を定期的に丸ごとクローリングしてバックアップ保存しています。
3. 分散型・暗号化技術を用いた永続保存プロジェクト
中央集権的な組織や国家の検閲・差押えすらも回避しようとする、技術主導の最新プロジェクトです。
■ Arweave(アーウィーブ)/ Permaweb
「一度保存したら、数百年単位で永続的に改ざん・削除が不可能な分散型ウェブ」を目指すブロックチェーン・プロジェクトです。
ユーザーやプロジェクトがストレージ費用を一度支払うと、データが暗号化されて世界中のノード(分散サーバー)に永久保存されます。
ウクライナ戦争時の戦況記録や、検閲リスクのあるジャーナリズムの告発文書など、**「国家やプラットフォームが後から消去・改ざんできない歴史的記録」**を保存するプラットフォームとして機能しています。
■ IPFS(InterPlanetary File System)と Filecoin
中央のサーバー(URL)に依存せず、ファイルの内容そのものに与えられる「固有のハッシュ値(CID)」で管理する分散型ネットワークです。これにより、元の事業者がファイルを消去しても、ネットワーク上のどこかに複製が存在する限り、世界中からそのオリジナルデータを参照し続けることができます。
文化保存プロジェクトが直面する「最大のジレンマ」
こうしたプロジェクトが存在する一方で、彼らは常に**「著作権法」および「クリエイターからの訴訟」**という巨大な壁と戦っています。
象徴的な事例(Internet Archive に対する出版社訴訟)
大手出版社数社が「Internet Archive が電子書籍を許諾なくスキャンして貸し出しているのは大規模な著作権侵害である」として訴訟を起こし、裁判所が出版社側の主張を認める判決を下しました(2023〜2024年)。
アーカイブ側は「文化保存と利用のためのフェアユース(正当利用)」を主張しましたが、市場の権利と対立した格好です。
まとめ
文化史の保存を目指す特別なプロジェクトは確実に存在し、「国家による公的寄託(国会図書館など)」、「草の根の自動収集(Internet Archiveなど)」、そして**「改ざん不能な技術(Arweave/IPFSなど)」**という多層的なアプローチで動いています。
しかし、それらが機能しようとするまさにその現場で、**「著作者・出版社の権利やビジネス保護」 vs 「人類の文化史としての保存」**という、先ほど議論したような「所有者との衝突」が日常茶沫に起きているのが現代のリアルな姿です。
」
ふむふむぅ🤔
履歴の整理と保存は電子書籍また保存媒体を確か特殊ガラス等のハードを使用すると半永久性は保てるはずです。
しかし、一方でこの活用方法は眠らせるだけにするかは、確かに悩ましい。
この辺りは日本の国会図書館はどうなっているのでしょう?
「
日本の国立国会図書館(NDL)は、紙の出版物に適用されてきた「納本制度」を電子書籍にも拡張する形で、デジタル文化財の保存を進めています。
日本における「電子書籍の収集・保存」および「改変・差分の扱い」の現状と課題は、大きく以下の3つのポイントに整理できます。
1. 納本制度のデジタル版:「オンライン資料収集制度(eデポ)」
国会図書館では、インターネット等で公開される電子書籍・電子雑誌を**「オンライン資料」**と定義し、収集を行っています。
無料資料の収集(2013年〜)
無償で提供されるPDFやEPUBなどの電子書籍・電子雑誌の収集からスタートしました。
有償・DRM付き資料の義務化(2023年7月〜)
制度が大きく前進し、有償で販売されている電子書籍や、コピーガード(DRM)がかかった商業出版物についても、出版社等に納入義務(制度上の収集対象)が課されるようになりました。
これにより、民間の電子書籍ストアで販売されている作品も、理論上は「初出データ」が国会図書館のサーバーに公的アーカイブとして永久保存される枠組みが整っています。
2. 最大の焦点:「改訂版・差分」は収集されているか?
「後から内容が修正・改ざんされた場合、過去のバージョンは残るのか?」という差分管理の問題について、国会図書館の運用方針は次のようになっています。
内容が更新された場合は「別版(差分)」として蓄積
オンライン資料において、文章の修正や内容の更新(大規模な改訂だけでなく、マイナーな修正等も含む)が行われて再配信された場合、国会図書館の運用上は**「改訂後の新たなファイル」として別途納入・収集する**ことが基本ルールとなっています。
物理的な削除(上書き消去)は行わない
仮に商業ストア側で元の初期バージョンが差し替え・遠隔消去されたり、作品自体が絶版・配信停止になったりしても、国会図書館側に一度納入された初期データが消去されることはありません。
つまり、将来の研究者が「〇年〇月時点の初版データ」と「修正後の改訂版データ」の両方にアクセスし、差分や修正の歴史を検証できる構造自体は担保されています。
3. 現状立ちはだかる「制度と運用の壁」
枠組みとしては理想的に見えるものの、現実の運用においてはいくつかの大きな課題や限界が存在します。
① どこまでが「納入義務対象」かというフォーマット制限
現在、収集対象となっているのは主にISBN(国際標準図書番号)やDOIなどのコードが付与されているものや、PDF・EPUB等の定型フォーマットで作成された電子書籍です。
個人出版(Kindleインディーズなど)や、Web小説サイトで日々連載・サイレント修正されるような流動的なテキストは、収集の網から漏れやすいのが実情です。
② 閲覧制限(アクセス権)の厳格さ
著作権者や出版社のビジネス(売り上げ)を保護するため、納入された有償電子書籍の閲覧権限は極めて厳しく制限されています。
現状、有償電子書籍の本文閲覧は**「国会図書館の館内端末のみ」**などに制限されるケースがほとんどです。
オンラインで誰もがいつでも過去の差分を比較できるわけではなく、「研究者や専門家が現地に足を運んで確認する」という、従来の「禁書庫」に近い閲覧形態になっています。
③ 出版社側の「サイレント改訂」の補足難易度
紙の書籍であれば「重版」や「改訂版」として奥付が変わり新刊として納本されますが、電子書籍の場合、出版社がファイルだけをサイレント差し替えした場合に、国会図書館側が「改変があったこと」をリアルタイムで検知して自動収集するのは技術的に難易度が高いという実務上の課題があります。
まとめ
日本の国会図書館は、法律と制度(eデポ)の面では**「電子書籍であっても初出および改訂の履歴を永久保存する」**という方向へ舵を切っています。
しかし、その一方で**「商業著作権との妥協点としての厳しい閲覧制限」や「無数に行われるサイレント修正をどこまで追跡・収集しきれるか」**という運用の壁に直面しており、まさに「文化史の完全な保存」と「表現者・ビジネスの権利」の均衡点を模索している最中と言えます。
」
ふむ、私の認識は電子書籍は肯定派ですし、新テクノロジーが旧テクノロジーを簡単に駆逐できるかと言えば首を傾げているのが私の現時点での立ち位置でしょう。
その、保管、管理、運用については経済も絡むため、こちらは今の所はわからんなぁ…と。
閲覧権限と監視者、またモラル・ハザード等々と課題は多そうですが、人類史としての保管という視座に限って言えば大賛成です。
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