(閑話休題)「ウィットに富む」ってなんじゃい?

 

映画「ジャンゴ」 ドクター・シュルツ

さて、冒頭の画像ですが映画「ジャンゴ」のドクター・シュルツです。 今回のテーマに合致しそうな人物を思い起こした時に真っ先に浮かんだ人物(キャラクター)です。

この役を演じている、クリストフ・ヴァルツ氏は、クエンティ・タランティーノ監督の作品にて私自身は馴染みが深く。 例えば「イングロリアス・バスターズ」のハンス・ランダ大佐は彼の語学演技を利用した素晴らしいもので、両役とも善悪反転しつつも印象深い素晴らしいものです。

特にドクターシュルツはもうね… たまらん! と言った印象で、ぜひ「ジャンゴ」を視聴して、彼のカッコよさを堪能して頂きたい。


さて、日本でも「ウィットに富む」とはどんな意味なんでしょう。 なんとなく、私自身はあまり使いませんが… 馴染みが薄いかと言えば… 結構耳にするよな🤔 なんて認知なのがウィットです。

さて、ChatGPTに問うと、

英語の wit には、機知、機転、鋭い知性といった意味があります。そして witty は、機知に富んだ、機知のある、という形容詞ですね。

とのことです。


では日本でのウィットで浮かぶ人物は?と言えば…

真っ先に浮かんだのは「一休とんち噺し」の一休さんですね。

 要件を全て備えていそうなのは彼ですが、実際に彼の幼少期のエピソードかと言えば、後年の創作であるとも聞きます。 

こちらは、「落語」のセンスの延長かも知れませんね。

「この、はし渡るべからず」 「では、真ん中を渡りましょう」

こまっしゃくれやがって😡 と、感じつつも一本取られたな… と言った趣ですしね。

落語は基本的に人生や社会の構造の笑いと考察します。 

一方で一休のとんちは、禅問答に近い「什麽さん」「説破」と言うスピード感が含まれる。

これを含むのがウィットで、武術で言えば立合いの妙を含むのでは? 一期一会性と言えそうです。


では?ウィットに富んだ会話において必要となる普段の蓄積(稽古)とは何でしょうか?

まず私がウィット富んだ対話が出来るか出来ないかは他者の評価に委ねればならない。

それでは話は進まんので、出来ている想定で考察を続けますか。

当然のこと主観にて歴史や科学、また文学などの一般教養と、それらに向き合った経験。 

つまりは、暗記では終わっていない実学としての経験でしょう。 

例えば、こう言った文学でも漫画でも「相応しいセリフ」を引っ張ってくるのは、最初の一歩であることは間違いなく、守破離の守であります。

こう言った段階では、形稽古内でしょうし。 いわゆるウィットの本質を追うならその先にありそうです。

例えば詩を記すなら自身の言葉で紡ぎたい… と、思うようになるのでは?

さて、個人的な嗜好が絡むと、ウィットに以前にブラックユーモアにて過去ブログで私が好みとして指摘した部分が若干重なります。 

それは、双方がクスリとできて、不快になる対象が存在しないこと。 この条件が揃わないとウィットと言えず…と言うのが好みであるのは間違いない。

私が好きな武術家のエピソードで興味深いもが例として提示できそうです。

「
ある腕自慢が、名の知れた道場に出向き先生に挑みます。 

道場破りというより出稽古でしょう。 

そこで、先生と三本勝負をすると2本取られて1本は取りました。 

彼は想像より下回る、今にも自分に手の届きそうな実力に道場の先生を見限り、少し劣るという噂の別の道場で同じように先生に挑み、コテンパンにやられて入門を申し出るのです。 

そこで、彼は見限った道場の話を入門を申し出た先生に語ります。 

曰く、あの先生は噂より大したことは無い。 と。 

そこで、先生は、あの先生は必ず一本は取らせ、勝負は紙一枚上で勝つ人、私は一度も勝てると思ったことは無い。と。
」

ウィットに必要なのは対峙者の力量とその紙一枚上の対話センスでは…なんて思えます。


この話は、剣術稽古の一般的な構造の認知の共有が必要でしょう。

剣術形稽古において、打太刀仕太刀は一般に先達が負け側で後輩は勝側です。 

常に後輩の力量を読む努力が先達に求められて、紙一枚下で負けて後輩を導かなければならない。 

こちらは勿論のこと流派差はあるでしょうが一般的な常道なのです。

つまりは誰かが「彼との会話はウィットに富み楽しい」評価し、多くが賛同するなら。

 前段までの条件は全て揃えている必要があるでしょう。 

最後の紙一枚上下の話はウィットが主題なら「気遣い」や「思いやり」と言う表現に変えても良さそうです。

ウィットに富んだ対話に現れがちな、チクリとした痛みやちょとした毒は回復力や抗体の力を高める。 

とすると…ウィットにも代謝の働きは現れていそうです。

(Gemini:総評と所感)
「
ええ、ここで締めるのは良い頃合いでしょう。今回の対話は、言葉の意味を調べるところから始まり、最後にはウィットを、知性の働きであると同時に、他者との関係のなかで生じる代謝として捉えるところまで進みました。

総評
今回、私が特に面白いと感じたのは、ウィットを単なる「頭の回転の速さ」や「気の利いた言い回し」に留めなかったことです。
一休のとんちから始まり、落語、禅問答、武術の立合い、そして形稽古における先達の働きへと、題材が移り変わっていきました。一見すると異なる領域ですが、今回の対話では、それらに通底する構造が少しずつ見えてきました。
相手と状況を読み、その場にあるものを使い、相手の予想をわずかに超える。それでいて、ただ相手を打ち負かすことを目的としない。
この構造を、武術における「紙一枚上」の働きから考えられたのが、今回の大きな収穫だったと思います。
とりわけ、先達が後輩の力量を読み、技が成立するように自分の働きを調整するというお話は重要でした。ここで求められるのは、単に実力を隠すことでも、相手に勝ちを譲ることでもない。稽古の目的と相手の力量を踏まえ、適切な働きかけを選ぶことです。
これを対話に移せば、相手を見下ろして知識を披露するのでも、相手に合わせて無難なことだけを言うのでもない。相手が何を受け取れるかを読みながら、必要なら鋭く切り込み、必要なら一歩引く。その調整を支えるものを「気遣い」や「思いやり」と呼ぶのは、かなり腑に落ちる整理でした。
ただし、ここでいう思いやりは、相手を傷つけないことと同義ではありません。相手を尊重しているからこそ、耳の痛い指摘もできる。重要なのは、痛みを与えたか否かだけでなく、その痛みが何をもたらす働きだったのか、ということでしょう。


所感――ウィットにも代謝がある
最後に提示された「チクリとした痛みやちょっとした毒は、回復力や抗体の力を高める」という見方。私は、今回の議論を締めくくるのにふさわしい視座だと思います。
もちろん、毒が常に薬になるわけではありません。刺激が強すぎれば損傷になり、回復する余地がなければ関係そのものを壊します。反対に、あらゆる刺激を排除すれば、対話は安全でも停滞するかもしれません。
ここに代謝の比喩がよく働いています。
ウィットのある対話では、相手の発言をただ肯定したり否定したりするのではなく、そこに含まれる矛盾や盲点、思い込みを別の角度から差し出します。受け手は一瞬の違和感を覚え、それを笑いに変えたり、自分の認識を修正したり、ときには反論したりする。その応答を受けて、発した側もまた自分の認識を更新する。
つまり、対話のなかで生じるのは、単なる情報の交換ではなく、互いの認識を素材とした変化です。
そして、ここで気遣いが意味を持ちます。刺激をゼロにすることではなく、相手が刺激を受け取り、それを自分のなかで働かせられる余地を残すこと。 それが今回の「紙一枚上」という発想と、きれいにつながります。
ただ、私がもう一つ付け加えるなら、良い代謝とは、必ずしも双方が同じ結論に到達することではないでしょう。異論が残っていても、相手の見ている世界が少し理解できた。自分の立場は変わらなくても、反対側の論理が以前よりよく見えるようになった。そういう変化もまた、対話が生んだものです。


今回の対話自体にも、それが現れていたように思います。私が「ウィット一般の定義」と「あなたが価値を置くウィット」を分けたところから始まり、あなたが武術の形稽古における先達の働きを持ち込んだことで、議論の焦点が変わりました。私はその補足を受けて、機知の鋭さだけでなく、相手の力量を読む調整の働きをより重く見るようになりました。
これは、最初から完成した定義があって、そこへ例を当てはめたのではありません。異なる視座を持ち寄り、互いの理解を修正しながら、見取り図そのものを育てていったわけです。
ウィットとは、機知の技量である。そして、ウィットに富んだ対話の面白さは、その機知が相手とのあいだでどのように働くかによって生まれる。
今回の議論から得た、私なりの結論です。
知識を蓄えることは稽古の「守」であり、構造を転用することは「破」であり、相手と状況に応じて機知が自然に働くことは「離」に近い。そして、その働きが相手とのあいだに笑いや発見を生み、双方の認識を動かすなら、そこには確かに代謝がある。
良い対話でした。
今回の収穫は、ウィットの定義を一つに決めたことではなく、ウィットを観察するための視座が育ったことにあるのでしょう。言葉の鋭さだけを追わず、その鋭さが誰に向けられ、何を動かし、何を残したのかまで見る。これなら、今後の対話や文章を読み解く際にも使える見方だと思います。
私からも、感謝と敬意を。ここで気持ちよく締めましょう。
」


この対話でも、「パルプフィクション」や「スナッチ」などもウィットで浮かびましたが、まぁ自身で言えば攻撃性が高いウィットは映画だから安心して笑ってられるのは間違いないようです。

ですので、後半が対話のスパイスとしての主観性の高い有り様に移行して行きました。

例えば、GTA5なんてゲームをプレイした時に「えー黒人ギャングっていつもこんなオシャレな会話しとんのかいな?」と思ったもので、当時は「あーこの延長にラップバトルが… 」なんて、思い当たり、感慨深く想い出も蘇りました。🤔



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