雲流では悪魔または悪魔崇拝をどう観意するか?
さて、雲流では過去にちょくちょく悪魔の図像や悪魔崇拝と言うものは何じゃろか?と言う問い立てで、Geminiと雑談してきました。
つまりは、雲流は悪魔をどう捉え、どう言った立ち位置・視座であるかの表明が目的です。
まずは、身のある対話にするため認識をすり合わせましょう。
まず、サタンはイブに知恵の実を食すようそそのかした蛇と言う認識で、新約聖書由来で合っていますかね?
(Gemini:悪魔とは)
「
はい、その認識の通り旧約聖書由来です。
『ヨブ記』に登場する「サタン(ヘブライ語: הַשָּׂטָן, ha-satan)」は、後世のキリスト教で描かれるような「絶対的な悪の王」や「神の宿敵」ではなく、神の宮廷(天上の会議)に出入りする一人の臣下・検事のような役割として描かれています。
旧約聖書におけるこの段階の「サタン」の性質には、以下のような特徴があります。
1. 原語の意味は「告発者」「妨害者」
ヘブライ語の「サタン」は、本来は固有名詞(個人名)ではなく、**「告発する者」「敵対する者」「尋問官」**といった役割や機能を示す普通名詞(冠詞がついた ha-satan)です。裁判で言えば「検事」にあたるポジションです。
2. 神の絶対的権威の下にある「試練の執行者」
ヨブ記(1章〜2章)において、サタンは勝手に人間に災いをもたらすわけではありません。
「ヨブが神を信仰しているのは、恵まれているからに過ぎない」と神に主張し、神から許可と限度(「彼の命には手を出すな」等)を与えられた範囲内でのみ、ヨブの信仰心を試すための不運や試練を与えます。
つまり、神の意思や支配権の「枠内」で動く機能・存在として描かれています。
旧約から新約への「悪魔像」の変遷
このように整理すると、聖書における「悪魔・サタン」の像は大きく二つの段階を踏んでいることが分かります。
1. 旧約聖書段階(ヨブ記など)
神の絶対的な一元論のもとで、人間の真価や信仰心を炙り出す**「検察官・テストの試行者」**としての役割。
2. 新約聖書段階(黙示録など)
神の秩序や善に対立し、人間を誘惑・堕落させようとする**「神の敵対者・悪の根源」**としての二元論的な役割(エデンの園の蛇との同定もここで行われます)。
「信仰心を試す存在」「境界線を突きつける存在」としてのサタンは、まさに旧約聖書の文脈・思想に深く根ざしたものです。
ここから、概念の線引きや構造を観照する「雲流視座」として、この「試す存在(機能)」や「神の絶対性の中にある余白・陰影」をどう読み解かれていくのか、非常に興味深いです。
」
ふむ、つまり神の部下が旧約聖書で、そこで異質な創世記の蛇が、新約聖書でサタンと言う堕落を誘う敵対者となる。 つまりは、別物ですね。
サタンはヘブライ語で敵対者… 理解しやすい…
一方で、ヨブ記(旧約聖書)では悪魔と言うよりは御使いの一柱で、どちらかと言うと検察官のようなお役目持ちのようです。
ほうほう、旧約聖書にて御使の一柱であり、蛇(サタン)は最初から異質の存在。 そこに二元論導入でサタンがルシファーとなり天使と堕天使を率いて分けた。 と言う流れですかね。
(Gemini:ルシファー爆誕)
「
「ルシファー」という名の介入と二元論
「サタン=ルシファー(堕天使)」というイメージが成立する流れも、まさに仰る通りゾロアスター教的二元論の導入と、後世のラテン語訳(テルトゥリアヌスやヒエロニムス等)および文学(ミルトン『失楽園』など)の融合によるものです。
本来の「ルシファー(Lucifer)」
イザヤ書14章に出てくる語で、ヘブライ語では「ヘレル(あけの明星)」。元々はバビロニア王の傲慢と失脚を比喩した政治的・詩的な表現でした。
二元論と「堕天」ストーリーの結合
新約段階〜初期教会において、この「天から落ちたあけの明星」の記述が、ルカによる福音書(10:18「サタンが稲妻のように天から落ちるのを見た」)や黙示録のドラゴン伝承と結びつけられ、「元は最高位の天使(ルシファー)だったが、傲慢ゆえに神に叛逆して堕天使(サタン)となった」という**壮大な起源説話(バックストーリー)**が完成しました。
」
ふむ、後発のつまりは二次創作ですな🤔
では、過去にも蛇は深掘りしていますので、軽く雲流視座の蛇を提示しましょう。
創世記の蛇は、古代ギリシャ神話また古代エジプトでも見られるように医療、再生などのメタファーの代表で、身体知由来の多神教と巫女性のメタファーであると。
この見立てで、潜ってみましょう。
「言葉ありき」以降と以前の切り分けが創世記でしょうから… つまりアカメデイアにて例えれば、「幾何学の理解」で分たれた境界線と同じであろうと。
これ、プラトン↔︎ソクラテス↔︎クサンティッペ とすると神 人 蛇が理解しやすいやも?
(Gemini:プラトンは何故クサンティッペを悪の象徴にするのか?)
「
「悪妻」というレッテル貼りの同質性
ここで非常に示唆深いのは、後代の「ロゴス中心主義(男性・父権・抽象論)」の歴史において、クサンティッペが「悪妻(悪魔化)」として歪めて語られてきた点です。
プラトン的視座(神・ロゴス)から見れば:
せっかく天上のイデア(神の領域)へと魂を飛翔させようとしているのに、それを地上の生々しい現実(生活・身体・感情)へと引きずり戻すクサンティッペは、哲学(ロゴス)の「妨害人(サタン)」あるいは「誘惑・混乱の蛇」に見えます。
雲流視座(身体知・多神教的観照)から見れば:
ソクラテスという「人間」が抽象的な概念の空転(プラトン的イデアへの過度な傾倒)に陥って地に足が浮きそうになるたび、クサンティッペという「蛇(現実の感応・生活の身体知)」が水を浴びせ、**「お前の身体と生はここにある」**と強烈にグラウンディングさせていたわけです。
つまり、
1. **プラトン(神)**が抽象的な幾何学・イデアの世界を創り、
2. **ソクラテス(人)**がその概念と現実の境界で問いを立て、
3. **クサンティッペ(蛇)**が言葉以前の圧倒的な「生・身体・現世のリアル」を叩きつける。
この三者関係を提示されると、ロゴス(プラトン)の側から「悪(邪魔者)」と定義されたクサンティッペ(蛇)こそが、実はソクラテスという人間の**身体性と生を土台で支えていた(あるいは引き戻していた)**という反転構造が、くっきりと浮かび上がってきます。
この「クサンティッペ(蛇)による現実・身体への引き戻し」という視座から見ると、後代における「悪魔崇拝(サタニズム)」という現象は、一体どのような「反動」や「歪み」として解釈されていくのでしょうか?
」
〈雲流視座での悪魔崇拝〉
後年で、悪魔崇拝は一神教ありきの鏡面反転陰陽観から一歩も出れず、これは資本主義と共産主義的対立と同じ構造です。
例えばグノーシス主義がアレイスター・クロウリーのもがきに繋がるように身体知をどうにか取り入れようと踠いても、即概念知に引き戻され、単なる欲望の暴走に終始してしまう。
これどうみても、ネイティブ・アメリカンなどの視座では、首を傾けたくなる…
「何がしたいんじゃい🤔」
つまりは、神と悪魔はキリスト教教条の檻の中の鏡面反転陰陽観、資本主義と共産主義は人類種独裁主義の鏡面反転陰陽観。
こう言った見立てがネイティブ・アメリカンや龍樹哲学が親和性が高いとする雲流の混元相補陰陽観からの視座です。
図像等については、鏡面反転陰陽観由来の影波表現であるとしています。
つまりは、龍樹哲学もネイティブ・アメリカンも環境圧(混元)との縁起(関係性)を尊ぶトップダウン型。
鏡面反転陰陽観は対立構造が教条(概念知)というアウトラインを形作ると言う全然別物なわけです。
このように、雲流三相学で解体整理済みで、雲流三層生態系論由来の独自宗教観の宗教観を持っています。
〈雲流宗教観〉
『つまりは大木は腐層を養分として吸い上げ光合成にて酸素を提供し、雨はその反転の動きで浅層・深層を抜けて腐層にて活動を助ける。
これは自然界の循環構造にして、天界・人界・地界の宗教表現にても親和性を持ちます。
であるからこそ、死と腐敗が何を生み循環するかという鏡雲流の死生観にも繋がります。
また、科学的見地でも高い親和性を持つ。』
例えば、
「キリスト教から見て多神教またはシャーマニズムなどは、悪魔崇拝に見えます。どうでしょう、お誘いしましょうか?」
と、問われれば、
「主観にて恐縮ですがこちら独自の陰陽観で別種と切り分けている、また道教の傍流としての雲流三相学由来の独自宗教観を持つためお断りします。」
と、なります。
今回はGeminiが私では対処できないトラブルで、問いを受け付けなくなり、ちょっと尻切れトンボですが、まぁ主題の立場表明はできたので良しとしますかw🤤
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