ドーナツの穴の大きさの重要性(月ノ美兎さんに捧ぐ)

以前に園児の男の子に園児向け雑誌を読み聞かせてあげたことがありました。 そこに、こんなナゾナゾが書かれていました。 「大きければ大きいほど損するものは何?」 さて、生まれて数年しか経っていない園児たちから見た世界は未知に溢れています。 これは、武術を始めたての人達と同じような状態にも思え、また総じて武術に神秘性を求めて入った人達にありがちな視座のように思えます。 自分にとって革命的な気付きも後から振り返ればとるに足らない、できて当たり前の些末なことなんだけど。 やっぱ気付いた時の感動はすごいからね、武術修行の持つエンタメ性の核よこれは。 こちら、 @0054_yokohama さんのツイートです。 実際、私の認識では武術は多層的な要素で構成されているわけですが、とりわけ日常では経験しない特殊に思える現象も流派によるでしょうが珍しくないです、まぁ体験するものによるでしょうが不思議に思える現象も初学の段階では概ねニュートン物理で説明できる範囲で、だからこそ効率よく物理現象を利用するために流派ごとにカスタマイズされた教練体系を学ぶことになります。 ただ、実際現代の日常生活ではちょっと発想できないような現象に出会うこともママあり、そういった物に神秘性を感じそれを入口に武術を始める人も多くいるようです。 そして、件のツイートに現れているように、当たり前のように出来てしまう先達からは「そんな不思議かな?」なんて思える当たり前の現象となって行き、「そっから修行が始まる初歩の初歩じゃろ?」みたいな感覚になるのもこれまたよくある話のように思えます。 実際、私が学んでいた 富木流の合気道 の先生などは簡単だろうと思い教えてることが毎度生徒がなかなか出来ず首を傾げる様子が日常となっていました。 この先生は子供の頃から50年以上の武歴ですからもう自然と出来てしまうことが初学に難しいことを認識できないレベルになっていたようです。 また、話は変わりまして私自身が園児の時に体験したことですが 100までの数字を数えられたときのことをよく覚えています。 何故こんなことが印象的かと言えば、私が園で学んだのは少なくとも100迄ではなく、おそらく20-30までではなかったのでは思いますが、その知識から法則性を見出し100迄の数え方を予想し実際お昼寝の時間に数えてみたわけです。 ...